手が震えていた。
いつものサークルの活動中。夕凪の手がふと触れただけで、輝星の身体が瞬間的に硬直し、逃げるように一歩下がった。
「……すいません、驚かせてしまいましたか?」
夕凪はいつもの丁寧な口調で謝る。輝星の事を攻めるでもなく、気まずそうにするでもなく。でも、それが余計に輝星の中に、分かってしまった感覚を残した。
あれ? なんで?
遼の事があったからもしかしたらと思っていた。男性が怖くなくなってきているのかもしれない、と。でも、そんなことはなかった。
ほんの少し前まで、輝星は夕凪のことを少しだけいいなと思っていた。
声のトーンも落ち着いていて、気配りも出来て、何より女の子を大事にしてくれそうな人だった。恋愛って何なのか分からなかった自分なりに、こういう人を好きになったらきっと幸せなんだろうなと思っていた。けれどその感情は、ある日ふっと崩れた。
夕凪が輝星のことを、恋愛対象として見ていないと気づいた瞬間だった。傷ついたわけではない。輝星はそれで安心した気もちょっとしていた。
あ、この人は私を異性としてみていないんだ。
輝星はそこで気づいた。好きだと仮定していた感情は、憧れだった。夕凪さんのように人を助けられて、ちゃんと優しくて、誠実で――。そういう人になりたかった。そういう人と異性ではなくとも近しい距離にありたかった。だからこそ、輝星は余計に較べてしまう。
――朝比奈遼と、夕凪未来を。
どっちが優しいとか、ちゃんとしてるかとか、そういうことじゃない。ただ、どちらが恋愛として見られる存在かを、無意識に比較していた。
夕凪さんに惹かれていたんじゃない。夕凪さんみたいになれたら、自分を肯定出来る気がしてた。それに気がついた時、心の奥が少しだけ楽になった。
活動後、輝星は自分から夕凪に声をかけた。
「さっきは、すいません。私……ちょっとびっくりして」
「大丈夫ですよ。僕の方こそ、無理に触れるべきではありませんでした」
「……あの」
少しだけ二人の間に沈黙が生まれる。だけれど、輝星は聞かなければと思っていた。
「私、なんで夕凪さんのこと、まだ、怖いと思っちゃうんでしょうね?」
どこか幼い子供が怯えたように。そんなことを想像してしまうほどか細い声を夕凪は拾い、静かに答える。
「それは、輝星さんが信じられるものと、まだ信じ切れていないものを自分の感覚で判断しているからだと思います」
「感覚、ですか?」
「はい。論理じゃありません。だから、無理に言語化しなくてもいいと思います。ですが、もしご自身がなぜと向き合いたいと思うなら、それはとても尊い事だと思いますよ」
その言葉に、輝星は少しだけ救われた気がした。夕凪に対しては、やはり少しだけ怖さが残っていた。けれど、それは彼が悪いわけではない。今、輝星自身が心を開きたいと思っているのが、彼ではないから。
輝星の中で、最近サークルに参加したもう一人の人が、いつの間にか特別な輪郭を持ち始めていた。
その夜、輝星はスマホを見ながら、無意識に『朝比奈遼』という文字を検索窓に打ち掛け、慌てて消す。
自分の気持ちがどこまで彼に向いているのかはまだ分からない。でも、夕凪との違いに気がついてしまった今――。
もう戻れない。そんな気がしていた。
