サークルの活動が終わったあと、参加者達はそれぞれの荷物をまとめて、ビルのエレベーターへ向かっていく。華やかだった空間が、嘘みたいに静かになった。その空気の中、会議室の扉の前。紫苑が遼に声をかけた。
「遼くん、ちょっといい?」
声は落ち着いていたけれど、その瞳は何かを決めた人のものだった。
二人きりで残ったサークル部屋の隅。窓の外には街灯。遠くの車の音だけがぼんやりと響いていた。紫苑は白いスカーフを指で撫でながら、ぽつりと話しはじめた。
「鈴木輝星ちゃんのこと、ちゃんと知っておいて欲しくて」
「……ああ」
遼は椅子に腰掛けながらも、視線だけで続きを促す。ふざける様子はない。彼もまた、ただ真剣だった。
「数年前――彼女、事件に巻きこまれているの。街中で、知らない男に襲われかけた。……完全に性被害だった」
両の手がわずかに動いた。けれど、黙って、耳を傾けていた。
「怖かったはずなのに、彼女はほとんど誰にも言わなかった。……でも、私には話してくれたの。多分私が、相手を性にはめて見ない人間だと分かっていたから」
「……」
「男の人を怖がってしまうことは仕方が無いこと。でも怖がってしまう自分のことをずっと責めてた。それでも、あなたのことだけは……拒絶した後も、少しずつ近づいていってたよね」
紫苑の声が少しだけ柔らかくなった。
「遼くん。……あなたに彼女を任せる、なんて上からいうつもりはないけど」
「ああ」
「でも、あの子の過去を知った上で、それでも一緒にいてくれるなら――。それがどれだけ彼女を救うか。少しだけ覚えていて欲しい」
静かに語られたその言葉を受け、遼は口を開いた。
「……知れて良かった。ありがとう」
そして、目を伏せて、ぽつりと。
「正直、聞いてちょっとだけ……胸が苦しくなった」
「うん。そうなるよね」
「でも、俺さ。最初から惚れてんだよ。あの子に」
視線を挙げて、真っ直ぐに。
「全部知って、それでも好きだって気持ちが全く揺らがなかった。むしろ、もっと強くなった」
紫苑は少しだけ目を見開いて、それから微笑んだ。
「やっぱり……あなたでよかった」
「当然だろ。最初から惚れてんだから」
にやりと笑って遼は言う。
「大丈夫。変人だけど誠実って、俺の専売特許だから」
「……ふふ、うん。変人だけど大丈夫なやつだって思ってるよ」
鞄を持った後、静かに、室内の明かりが落とされる。
夜のビルの廊下を歩く二人。交わされた言葉は多くなかった。それでも、二人とも確信していた。
彼女はもう、守られるだけの存在ではない。誰かと共に歩んでいく存在になりつつある。――そして、それを支えるものたちも、またそこにいるのだと。
