あなたのことが大切だった

「か、ちゃん……り、かちゃん」

「んぇ……?」

「立香ちゃん、ああ、良かった」

「ぁ、えっと?」

 泣きたかった。どうしてって言いたかった。

「ドクター、生きて、るんですか?」

「生きてるって?……ひどいなぁ、まったく。僕のことを何だと思ってるんだい?」

 記憶を探るけれどどこかぼんやりしている。辺りを見渡すと、どうやらカルデアの廊下で眠っていたようであったけれど、前後が思い出せない。誰かと話していた気がするし、本を読もうとしていた気もする。

 冬木から第一特異点、そこから第七特異点へと進み、終局特異点へ。それから襲撃があり、ストームボーダーで過ごしていたけれど。そこまで考えて頭が痛くなる。第六異聞帯。そこでは三つの大きな厄災と戦い、そして奈落の虫と対峙した。

 ストームボーダーでの生活に慣れつつもカルデアで生活していたことを忘れられずに、ボーダーをカルデアと呼んでいることはあるけれど、それはそれ。目の前には正常なカルデアスのある間違えのないカルデアが広がっていた。

「うーん、どうやらまだ意識がはっきりしていないみたいだね。良かったら医務室で話をしようか」

「あ。は、はい」

 何故今もカルデアは襲撃されていないのか。ドクターは生きているのか。それを聞いてはいけない気がするけれど、事実目の前にドクターは生きている。それが何よりも嬉しい。けれど、どこかで何かをなくしてしまったような感覚が湧き上がり、自然と口に出ていた。

「あの、ドクター。……オベロンは?」

「オベロン?オベロンってあの妖精王オベロンのことかな?」

 シェイクスピアの物語の中に出てくる妖精王。もしかしたらサーヴァントとして召喚できるかもしれないけれど、まだ召喚はできていないかな。立香ちゃんって彼の作品が好きなのかい?

 続くドクターの言葉は耳に入らなかった。信じられなかった。どうして。どうして彼がいないのか。目が覚めたときと同じように意識が遠のく感じがするけれど、それはロマニが両手を握ってくることで抑えられた。

「本当に顔色が悪いし、検査もしてみようか」

「け、検査なんて大げさな」

「もう人類最後のマスターじゃないけれど、それでも立香ちゃん、きみのことを医者として心配しているのは分かるだろう?」

「わかり、ました。ただ……話も聞いてもらえますか?」

「もちろん」

 何故ドクターがいるのか、どうしてオベロンが存在しないのか、今一体どんな状況なのか。それが分からないまま、ただただ目が覚める前と同様の時を刻む文字盤に目を向けながら医務室へ入った。

「それで、検査もするけれど、話したいことが沢山あるんだろう」

 口調も砕いて良いし、自由に話してごらん。ただ聞くことしか僕にはできないけれど、それでも、君の話を聞くことはできるから。

 カモミールティーを二人分入れて、それを片方差し出される。お菓子もどうかなといわれたけれど、それを断って、自分が起きるまでに見ていた現実を話した。

「僕が生きているか聞いてきたのはそういったことだったんだね」

「はい、ごめんなさい」

 ゲーティアを倒したときのことを話す。それから起きたこと。オベロンについても覚えている限りを話した。

「夢の中のことだからって笑い飛ばしても良いんです。でも」

「立香ちゃんはそれを夢じゃないと思いたい。そうじゃないかな」

「はい」

 今のこの場所が現実で、今まで見てきたのが夢だった。そうであったらどれだけ良いことなのだろうと思うけれど、それでもそれを認めたくはなかった。

「立香ちゃんは……ごめんね。うまく言えないけれど、僕のことを本当に大切に思ってくれていたんだね」

「はい。私にとってあの夢の中で過ごしたドクターは大切な存在でした」

 どんな意味で大切だったのか。それが果たして恋だったのかは分からない。それでも、ラスプーチンに霊核を砕かれたダ・ヴィンチちゃん同様に、本当に大切な存在であった。

「私にとってドクターは大切だった。仲間として、本当に大好きだった。でも、あんな別れはしたくなかった」

 仲間として大好きだった。これが精一杯できる回答。これ以上の言葉はないと思った。それと同時にやっぱりここは夢の世界で、オベロンがいる方が現実なんだと分かる。

 ドクターに両手を捕まれたときに一瞬ほっとした。それはドクターに捕まれたからではなく、直前まで彼がしていたことと同じだったから。ドクターのことを思っていたのは、突然の別れに心がそれを受け入れられなかったから。それに気がつくと共に、目の前の彼は深く頷く。

「そうだよね、立香ちゃん。それが当たり前だ」

「うん、ありがとう。ドクター」

 泣きださないようにしゃくりをあげる口を押さえる。噛みついたりして痛みで驚かせれば涙は引っ込むだろうけれど、それは目の前の彼を驚かせることになるし、心配をかけてしまうからしない。

 目を覚ます前に見た金色の光。それから目の前のドクターと医務室がゆっくりとその光に消えていく。私はもう一度、ドクターにありがとうと呟いて、目を閉じた。

「んぱい、先輩!」

「ましゅ?」

「先輩、あぁ、良かった」

 推定レムレム三日。医神からはオベロンの鱗粉を吸い込んだせいだろうし暫くすれば目を覚ますだろうと言われていたらしい。それでも目の前にいたマシュはほぼ寝ずに番をしていたのだった。そうして、私を眠らせたオベロンはというと……。

「オベロン、なんで拗ねてるの?」

「きみには拗ねてるように見えるわけ?」

 その思考回路どうにかしたら、と謹慎室の隙間から声が聞こえる。そこをのぞき込むと、後ろを向いて、気持ち下に翅が向いた妖精王の姿があった。あれを拗ねていると言わずに何というのだろう。

「質問に質問で返すのは良くなかったんじゃなかったっけ?」

「……っ、ああもう! わかったさ。きみが案外早くに起きたことが気にくわないんだよ」  翅を今度は逆立てるようにしながらも、未だに後ろを向いている妖精王。彼に頭の中で密かにお礼を言いつつも笑みを向けるのだった。