これは終わりのお話

「■■■■■、蛍を見に行こう?」

「蛍、ですか?」

 蛍とは何なのだろうとバーゲストは思う。けれど、それも数分。蛍とは何だったのかを”思い出して”それだったら夜ですねと声をかけてくる。妖精國では蛍を観賞用として愛でる風習は無い。けれどバーゲストはどんな服を着ていけば良いのでしょうと考えているところから、日本における蛍についての知識を無意識に検索したのだとアドニスには分かったのだった。

 真っ暗闇に近い場所には恐ろしい野生生物もいるという。アドニスだけであったら絶好の獲物だとされていたかもしれないけれど、一緒にいるのはあの妖精騎士ガウェインであった。今は恋多きガウェインとしての顔をアドニスに見せているけれど、それはそれであって、彼女の強さを否定するものではない。野犬などは近づくだけで彼女の持つ根本からの強さに恐れおののき、一匹たりとも近づけない様子であった。

「たしか、この辺りかと」

「そうだね」

 ドラケイがいる川とは違う、流れが強すぎない川。そこにキイキイと車椅子の音をさせながら近づいていく。近づきすぎて落ちないようにとバーゲストは車椅子を押す速度を緩めつつ、淡い光を二人で眺める。ほわほわと頼りないけれど強い光。それらが川の近くを照らした。

「っ、げほっ、ごほっ……!」

「アドニス?!」

「だ、だいじょうぶ、だよ。■■■■■」

 咳き込んだ拍子に手にぬちゃりと嫌な粘つく感覚。それに鉄の香りもほのかに香っていたことで、血を吐いたのだとアドニスは理解した。もう、時間なんだね。アドニスはバーゲストを見上げる。ここまで一緒に過ごしてくれたバーゲスト。一緒に最後まで過ごしたいと思っていたバーゲスト。その最後の時が来たのだと、悲しいけれど手のそれを握って彼女に口にする。

「バーゲスト……」

「なん、ですの?」

「ぼくは、バーゲストに出会えてよかったと思っているよ」

「それは、私もですわ。何を今更」

「バーゲスト、ぼくはもう……だから、目を覚ましてほしいんだ。バーゲスト」

「……」

「ぼくもきみも、いまのこのときがゆめだって、わかっている。そうだろう?」

 逸らされる視線を無理矢理にでもアドニスは合わせる。彼女と一緒にいたいのは本心だけれど、それを続けることはできない。これは、夢に見られているだけの夏の夜だから。ここにはもうとどまってはいけないんだ、そうアドニスは思う。本当は別れたくない、最後まで一緒にいてほしい。今度こそ二人きりの穏やかな終わりを。それでも、愛していたとしても、別れなければならない。

「いっしょにいたかった。けど、だめだよ。バーゲスト」

 きみは汎人類史のサーヴァントなんだから。僕を食べた現実を、それを受け入れつつカルデアにいたことを思い出して。……身勝手でごめんね。

 忘れてほしいと記憶を封じたり、逆に思い出させたりとアドニスは全く以て身勝手だ。けれど、それをさせたのは、そうありたいと思って、それを演じたのはバーゲスト自身であった。バーゲストは全てを思い出す。

「アド、ニ、……ス」

「バーゲスト。いっしゅんでも、ぼくはきみとの時間をひとりじめしたかった。そうしてそれをバーゲストも望んでいてくれてうれしかった。たとえきみが妖精國のバーゲスト出なくても、だ」

「……」

 愛している。だから、目を覚ましてほしいんだ、バーゲスト。愛しているから、彼女には夢ではなく今を生きてほしい。もう”妖精國に生きたバーゲスト”を演じる時間は終わったのだ。

 バーゲストはぎゅっと歯をかみしめる。思い出した。全て、思い出してしまった。アドニスの最後、それから同じようなことを繰り返していた偽りの幸福な時間。それを与えた彼にはどちらともいえない気持ちを持っているけれど、自分が再現したこの空間に関しては、このバーゲストの思い出に関しては愛おしいと思っていたし、この夢を見れたことは幸せであった。

「わかり、ましたわ」

「ありがとう、バーゲスト」

「夢は、いつかは醒めなければ、なりませんものね」

 悲しい。この夢から覚めたらもう会うことはできない。それが分かっているのに自ら夢から醒めるなど……したくない。けれど、自分だって、愛している人だって、妖精國を終わらせる一因となったカルデアのものたちに生きていてほしい、最後の最後まで自分たちの分も生きていてほしい。そのために力を貸したい。そう思っていたのだった。

「アドニス」

「なんだい、バーゲスト」

「私、ひとつだけお願いがあるんですの」

「うん」

「それは……」  そうしてバーゲストは目を覚ましたのだった。