付き合ってから三回目のデートは、映画とカフェ、そしてただ並んで歩くだけの、ゆるやかな一日だった。特別なサプライズがあったわけじゃない。ただ一緒に笑って、映画の感想を言い合って、少し先の未来をぼんやり話して。そんな穏やかさが、なつめにとっては何より幸せだった。
帰り道。駅へと続く並木道。街灯がぽつりぽつりと灯りはじめた舗道を、ふたりは並んで歩いていた。言葉は少なかった。でも、どちらも急ぐ様子はなかった。靴音だけが柔らかく重なり合う帰り道。風はほんの少しだけ冷たかったけれど、それさえも心地よかった。
「今日は、ほんとに楽しかったです」
不意に、未来がぽつりと呟くように言った。その手が、なつめの手をそっと包むように握る。きゅっと、小さく。
「うん。わたしも。……未来さんとだと、なんでも嬉しくなっちゃうね」
そう返したなつめの頬は、ふんわりと紅を差していた。目元に浮かぶ笑顔は、どこか照れたようでもあって、それが未来には、たまらなく愛おしかった。
駅の明かりが見えてくる。改札を通る人々の姿がちらほらと目に入る。ほんの数メートル先にあるその現実が、今だけは遠く感じられた。
「帰りたくないなって、思ってしまいました」
未来の声は、普段よりほんの少しだけ低く、熱を帯びていた。その言葉になつめは驚いたように一瞬だけ目を見開いたけれど、すぐにその胸元のシャツをそっと掴む。
「じゃあ、今度はもっと遅くまで一緒にいられるようにしよう? 終電ぎりぎりまでとか……それか、泊まっちゃうとか」
言いながら目を逸らすその姿は、冗談めいていながらも、どこか本気の色を帯びていた。頬はほんのりと染まり、唇が不安げに揺れる。
未来はふっと笑って、はいと小さく頷いた。そして、ほんの一歩だけ、なつめとの距離を詰める。なつめはそれを受け止めるように、未来を見上げた。目を逸らしかけて、でもやっぱり彼を見つめ返す。
期待と照れが混じった視線。その先にある、まだ知らない関係の一歩。未来は、ひと呼吸置いて――そっと、彼女の額にキスを落とした。
「……っ」
なつめの肩が、かすかに震える。その仕草に応えるように、未来は彼女の頬にもそっと口づける。
まるで何かを確かめるように。伝えるように。そして、ゆっくりと――。
唇に、ふたりの距離が触れ合った。押しつけるでも、奪うでもなく。ただ、今この瞬間を分かち合うような、静かなキスだった。
なつめは目を閉じて、それをそのまま受け入れる。柔らかくて、あたたかくて、ほんの少しだけくすぐったくて。けれど、確かに胸の奥にしみこんでくる温度があった。
唇が離れる。空気が少しだけ揺れる。ふたりはまだ顔を近づけたまま、見つめ合っていた。
「……初めてのキスが、未来さんでよかった」
なつめの言葉は、息よりも小さくて、でもまっすぐだった。未来は、彼女の髪をそっと撫でながら囁く。
「ありがとうございます。僕も、なつめさんで……本当に、よかったです」
改札の向こうで、電車のアナウンスが流れていた。けれど、ふたりの世界はまだそこには届かず、静かにぬくもりを分け合っていた。
