そのしおりは、文庫本のページに挟まれることはなかった。なつめは、毎朝目に入るように――自分のデスク脇の棚の、いちばん目立つ場所に、そっと飾っていた。ほんの小さな真鍮の板。繊細な枝模様に、柔らかな文字。
《To the one who changes my seasons.》
何度見ても、息をのむくらいきれいだった。でもそれ以上に――この言葉が、未来の口から、未来の手から、自分に贈られたものだということが嬉しかった。
「もったいなくて、使えない」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いて、小さく笑った。そのしおりを使えば、本は確かに便利になるかもしれない。でも、ページの間に隠れてしまうのは惜しかった。見えなくなるなんて、もったいない。だから代わりに、毎日「見る」。
朝、席に着いたとき。昼、少し疲れたとき。夜、帰る前の静かな時間。見るたびに、胸があたたかくなる。未来と目を合わせた日のことや、言葉を交わしたときの、あの優しい声を思い出す。たった一枚のしおりが、こんなにも好きを感じさせてくれるなんて。自分は、ちゃんと愛されてるんだな――と。
机に向かいながら、そっと頬を手で覆った。
「未来さん、ほんとにずるいな」
でも、そんなずるさなら、何度だって見ていたい。これからも、ずっと。
クリスマス当日。イベントの後、ふたりきりになったタイミングで、なつめは少しもじもじしながら紙袋を差し出した。
「これ、未来さんに。メリークリスマス、です」
「ありがとうございます。よろしいですか? 今、開けても」
「はい……でも、あんまり期待しないでくださいね?」
未来が丁寧に包装を解くと、中から出てきたのは――ハンドメイドの本革ブックカバーと、短い手紙。ブックカバーは、落ち着いた深い藍色に、角にさりげなく刻印された金のイニシャル《A.Y.》。 それはAkira Yunagiの意味だとすぐに分かった。
内側には、なつめの手縫いらしき小さな刺繍で、こう書かれていた。
未来さんの時間が、あたたかくありますように。
未来はしばらく言葉を発せず、静かにそれを手に取って見つめた。指先で革の手触りを確かめながら、視線がふと優しく和らぐ。
「すごいですね。これ、ご自身で?」
「はい。毎日は無理だったので、夜とか少しずつ」
「手紙も、読んでいいですか?」
「恥ずかしいので、あとで……!」
顔を真っ赤にしたなつめが慌てて口をふさぐしぐさに、未来は珍しく、ふっと小さく笑った。
「大切にします。読書が、もっと特別な時間になりますね」
「未来さんの“好き”に、何かひとつだけでも寄り添いたかったんです」
「寄り添っている以上の贈り物です。なつめさんらしい、あたたかさと手間のかかった優しさだと思います」
「嬉しい」
なつめが、そっと胸の前で手を組む。たったひとつの革と糸の贈り物。けれどその時間こそが、未来にとって何よりの宝物だった。
