プロポーズ

 その日の遼の予定は、妹と昼食を摂った後に久々に帰ってきた街をふらつくというものである。滞在先の家族の用事はすでに済ませ、遼は、せっかくだからと妹孝行として一緒に歩いていた。

 なつめは今日もよくしゃべるし、よく笑う。目の端に出来た小さなシワが数年前にはなかったことだけが、遼の胸を少し切なくしていた。

 下町のカフェで頼んだケーキセット。小さな頃からどこか抜けていたなつめは、案の定、生クリームをほっぺにつける。それを見て遼は迷わず手を伸ばした。

「ほら、ついてるぞ」

 そう言って、指でそっと拭って、そのまま舐めとる。

 兄妹間のスキンシップとしてそれが普通かどうかは分からない。それでも、恥ずかしいとは思っていない。妹は可愛い妹だし、それ以上でもそれ以下でもない。

 遼は周りの視線には気づかず、ただ妹だけを見つめていた。

 ケーキを食べて喫茶店を出た後は、目の前にあったクレープ屋。なつめの目が輝いているのを見て、遼の財布は勝手に開いていた。

 そんなこんなで歩道を歩いていた時だった。なつめが不意に足を止める。

「……あっ」

 歩道の先。反対側になつめが見つめる先があった。目線を辿ると、いた。

 黒髪で遼よりは低いが長身、品のある雰囲気の男。そして、その隣に女の子。二人は紙袋を下げて、どうやら買い物の帰りらしい。

「誰?」

「サークルの人たち! ちょっと行ってくるね!」

 サークル? 遼は一瞬疑問に思うも、昨日のなつめとの会話を思い出す。なつめが社会人になってから入り浸っているというゲームサークル。なつめがいつもお世話になっていますと、遼が声をかけようとしたところで、男となつめの距離を見て、固まった。

 なんだあの男は。あの距離感。おかしくないか? いやに、なじんでないか?

 なつめが走って行った先へ遼も遅れてついていく。勿論、妹とその男の様子を確認するためだった。

「未来さん、こんにちは」

 なつめが声をかけたところで、未来と呼ばれた男がこちらを見て驚いたような顔をした。その視線が、なつめから遼、遼からなつめへ。そして一瞬、驚きと緊張が走った。遼も遼で、未来を観察するように視線を向ける。そして、納得した。

 なるほど、こいつか。なつめがあの顔を作るようになった原因は。

 遼から見た未来は、目はやさしそうであったが、警戒心を持っているようであった。遼も勿論警戒する。

「はじめまして。俺は、朝比奈遼。なつめの兄です」

「はじめまして。夕凪未来と申します」

 礼儀正しい。まあ、悪くない。なつめの選んだ男にしては、ずいぶんと綺麗で上等なやつだと思った。けれど、遼の視線は、次の瞬間に、夕凪の隣の、なつめと同い年ぐらいの女の子に吸い寄せられた。

 肌の輝き、目の奥の光。背負ってきたものと、戦ってきたものと、それでもなお前を向こうとするりんとした姿。

 ――美しい。

 遼は今まで観察してきた、自分が描いてきたどんな絵画よりよっぽど美しいものを見たように感じた。

 出会って三秒で分かる。この子の絵が描きたい。この子に、人生の全てを賭けても良い。自然と口から言葉が出ていた。

「お嬢さん、俺と結婚してくれませんか?」

 隣の男も、なつめも、そして当の彼女――後に鈴木輝星と紹介される彼女も、全員がぽかんと口を開けた。だけれど、遼は真剣だった。全くふざけていなかった。そして、運命の出会いが本当にあるものだと感じていた。

「……はぁ?」

 最初に声を上げたのは未来の隣の女の子であった。驚きとか、怒りとか、様々な感情が交ざった微妙な間。

 まあ、無理もない。俺の第一声が「結婚してくれ」だったのだから。遼はどこか冷静な頭の片隅で考える。

「兄です! 紹介が遅れてごめんなさい!」

 なつめが慌てて間に入る。

「こっちはサークルの代表の夕凪未来さん。で、隣の女の子が鈴木輝星さん。……それで、こっちは私の兄、朝比奈遼。たまに変なこと言うけど、本質的には悪くない人だから!」

「本質的って言い方。お前なぁ……」

「仕方ないじゃん! 明らかに今のおかしかったもん!」

 遼は妹に変に紹介される屈辱に耐えながら、輝星の方へもう一度微笑む。彼女はまだ口を開きかけたまま、言葉が出ないでいた。

「……冗談とかじゃ、ないですよね?」

「勿論、本気です」

 口調は丁寧に。だけれど心は全力で。芸術家とはこれだと思った瞬間に動く生き物なのだというのが遼の持論だった。そんなやりとりを見ていた夕凪が、困ったように笑う。

「鈴木さんが引いてしまっていますし、少し落ち着いてお話された方が」

「……すいません、驚かせてしまって。君があまりに綺麗だったもので」

 またも自然に口からこぼれる。下心ではなく、心からの感嘆。輝星は、耳まで真っ赤にして、少し下を向いた。

 ――あ、ちょっと可愛いなこれ。

 ほんの少しの下心が混じったのは遼だけが理解していた。

 なつめとその場を離れた後、遼は色々な説明を受けた。

「サークルっていったけど、なにやってんの?」

「ゲーム系のインディーズ活動がメインだけど、エッセイとか小説、ちょっとした創作物も色々出してるよ。未来さんが代表で、みんなで話し合って決める感じ」

 あの品のいい彼が代表か。納得の構成力。遼は深く頷く。

「で、さっきの彼女。輝星ちゃんだっけ?」

「うん。ゲームは強いし、根は優しい子だよ?……ちょっと気が強いこだけど、お兄ちゃんが気になるの、分かる気がする」

 なつめがそう言うのは珍しいと遼は思う。そう言うということは、よっぽど信頼されている子なのだろう。

「ふーん。……じゃあさ、そのサークル、見に行っていい?」

「え?」

「社会人のゲームサークルなんだろ? それだったら俺の本業が画家って事もあるし、グラフィックとかでも関われるかもしれない。面白そうだし、――妹の恋人もよく知って置かないとなってお兄ちゃん的には思ってるわけだ」

 ぎゅっと顔を寄せるような嫌な顔。なつめがそんな顔をしたところで遼の意見は変わらない。それどころかより楽しくなって、にっこりと笑みを浮かべた。

後日。なつめに案内され、遼はサークル活動場所へ足を運ぶ事になる。遼の第一印象は、癖が強い。その一言だった。ただし、悪い意味ではなく、芸術家である彼が好む色がそこにあった。好き勝手に喋って、好きなことをしていて、それでも不思議とまとまっている。そしてそれをまとめきっている代表の夕凪未来。

 惚れるわけだ。人の顔色ばかりうかがっていた妹はここで変わったのだろう。  さて、この場にもう一度輝星ちゃんが来たらなんて言おうか。前よりはマシな挨拶が出来るといいな。量は期待に胸を膨らませつつ、彼女がやってくるのを待っていた。