プロローグ

 ああ、私はなんということを。バーゲストは思う。ぐちゃぐちゃと音を立てて、口へと運んでいたものは何だったのか。なんだったのか、ではない。誰だったのか。思い出そうにももう姿さえも見えないぐらいぐちゃぐちゃになっている。それを先ほどまで口に運んでおいしそうに頬張っていたのは自分だというのに、今度はそれを口から吐き出すのだった。

「ぅ……、ぉ、ぇっ、あ、が……」

 きたない、きたない、きもちがわるい。ああ、愛していたものがこんなものだったなんて。吐き戻して、吐き戻して。そんなことをしても元には戻らないことなんてわかっているのに。 私のことをかわいらしいと言ってくださったあの方はどこに?私が食べてしまいたいと思うほどに愛おしかったあの方はどこに?目の前には真っ赤な水たまりと、ぐちゃぐちゃとした塊だけが残っていた。

「はぁ……は、ぁ……」

 ぐっしょりと濡れた気持ち悪い感覚を感じながら目を瞬かせる。ああ、また喰らってしまった。頬を流れる返り血であろうそれを拭おうとして。ここがカルデアであったことに気がついた。これは血ではない。香りも独特の鉄の臭いじゃないではない。改めて汗を拭って息を吐く。妖精國はすでに滅んでいて、ここはカルデアである。陛下やバーヴァンシー、メリュジーヌ、それからアルトリア・キャスターや……オベロン・ヴォーティガーン。妖精國で仕えたものや仲間、敵であったもの。そんな私たち全員を一緒に戦うものとして受け入れたマスター。諍いは起きないのでしょうかと聞いた私に、緋色の髪の少女は「けんかしたらカルデアの廊下を千周してもらうから」と言い、良い笑顔で見上げてきたのだった。

 今日はそんなマスターと、改めて妖精國でのデータを確認する日となっていた。私には妖精國の記録がある。記憶ではなく記録だ。それでも何が起こっていたのか、何を考えて行動をしていたのかなど、自分のことなので予想ができた。そうしてマスターはそれを求めていたのだった。

「マスターの起床時間まで、まだありますね」

 時刻は午前四時。少し早めに起きてしまったと思いつつ、マスターの元に向かうまで何をしようかと考える。身なりを整えるのもいいけれど、先にある程度データをまとめておいた方がいいのではないだろうか。支給されている小さすぎるタブレットを手に持ち、壊さないようにタップした。まだ慣れないけれど、何度か押し間違えて戻りつつも、マスターがまとめた妖精國の資料をピックアップ。大体の流れを理解はしているけれど、マスターから見て妖精國はどんな国だったのかと考える。そうして、ある一行に来たとき、私の手は止まった。

「あどにす……とは、誰なのでしょう?」

 バーゲストの恋人、アドニスに会うことはかなわなかった。マスターの文書にはそう書かれていた。私の恋人。恋多きガウェインと呼ばれていた私には常に恋人がいた。それは私よりも強いと思われるモノであった。彼らのことを本気で愛して、そうして喰らう。それが私の本能。そんな私のことだからきっとアドニスという男も、氏族長ほどに強い男だったのだろう。妖精國についていくつか記憶の欠損があることを認めながら、サーヴァントとはこのようなモノですのね、と記録を読んでいく。すべてを覚えているわけではない。けれど、大切なことは覚えていたらいいのに。

 そうして読み進めていくと、人間という言葉を見つける。バーゲストの恋人のアドニスは自分と同じ人間らしいけど。その一文に目が丸くなる。人間と言えば妖精國においてはとてもか弱きモノ。どちらかと言えば庇護対象としていたもの。どうして妖精國の私はそんな生き物と?  アドニスという言葉を見始めてからズキズキと痛み始めていた頭。そこに手を当てながら思い出せと髪の毛に触れる。くしゃくしゃと髪の毛を乱しながら考えるも浮かばない。どうして、どうして。この恋人は大切ではなかったのか。自分は恋人を大切にしていなかったのだろうか。最悪の想像がよぎる。そうしている間に考えすぎたのだろうか、頭がクラクラとしていき、そうして私は。