「お金貯めて、子ども3人。すごい、夕凪さん、めちゃくちゃ堅実な人生になってる」
「ゲームですから。選択肢が限られているなら、できるだけリスクは避けたいんです」
「うーん、夕凪さんらしい。……安定志向なんですね?」
「そう言われることは、よくあります」
休日の午後、コーヒーテーブルに広げられたボードゲーム。その上で並ぶ駒たちは、まるでふたりのらしさを体現するように進んでいた。なつめの駒は迷いながらも大胆に分岐を進み、夕凪の駒は着実に、リスクを避けて進む。
「それにしても、堅実って、ちょっと羨ましいかも」
「なにかあったんですか?」
「ううん、なんとなく。わたしって、行き当たりばったりなところあるから。夕凪さんみたいな冷静さ、たまには分けてほしいです」
照れ笑いを浮かべながら言うなつめに、夕凪は少しだけ微笑を返す。なつめはまだ何か言いたそうに口を開きかけたが、代わりにサイコロを振った。けれどその手が、ふと止まる。
「ねえ、夕凪さんって、そういう意味だと……浮いた話とか、全然聞かないですよね?」
サイコロがテーブルの上で止まったまま、夕凪の指が一瞬ぴくりと揺れた。
「急に、どうされたんですか?」
「えっ、いや、変な意味じゃなくて!ただ夕凪さんって、ちゃんと知ってるようで、わたし、意外とそういうの全然知らないなって。恋愛の話とか」
なつめは、自分でも意外だったのか、少し頬を染めながら苦笑いする。その素直な問いかけに、夕凪はサイコロから目を外し、しばらく指先で駒を弄んでいた。
「そうですね。浮いた話がなかったというよりは、誰かに話すようなものがなかった、が正しいかもしれません」
「そうなんですか」
返事は素っ気ないものではなかった。ただ、少しだけ――含みを持っていた。
「でも、今は違います」
なつめの瞳が揺れた。小さな鼓動が、胸の奥で跳ねる。
「違うって……?」
夕凪は、そっと彼女の方を見た。迷いのない視線だった。サイコロの目でも、盤面の未来でもなく、ただ彼女という一人の人間を、まっすぐに見ていた。
「朝比奈さん。私は、あなたが好きです」
言葉の音が落ちると、部屋の空気が一瞬だけ止まったような気がした。なつめは、息を呑んだまま言葉を失う。
「友人として心地よいと思っていた頃から、あなたが努力を重ねる姿、誰かに見せない優しさ、少し照れた笑顔……それらが、すべて私にとって特別になっていきました」
静かな言葉。でも、それは真剣な告白だった。
「最初は、教える立場として抑えていました。気づいても、越えてはいけない線だと思っていた。でもそれが終わっても、あなたを見ていたいと思った。……その時点で、私はもうただの先輩じゃなかった」
なつめの瞳が潤んでいるのがわかった。けれどそれは、悲しさの涙ではなかった。
「あなたが隣にいてくれたら嬉しい。私の選ぶ未来に、あなたがいてくれるなら……それが、何よりの幸運です」
なつめは、口元を押さえながら、そっと笑った。
「あの、こんな……なんて言ったらいいのか。すごく、嬉しいです」
その言葉の裏側には、震えるほどの感情があった。ボードの上の小さな駒が一歩進むように、心が確かに、誰かに寄り添おうと動いた瞬間。
「でも、タイミングが……すごいですね。ゲームで私が結婚マスを踏む前に、先に告白されちゃうなんて」
「申し訳ありません、ルール違反でしたか?」
「……ううん、大歓迎です」
ふたりの指が、サイコロの上でそっと重なった。
それはゲームではない、現実の選択。人生のどこかで交差したふたりが、ようやく同じマスに立った、最初の一歩だった。
