初めての夜

 駅前のカフェで待ち合わせたのは、ちょうどお昼の12時。なつめが手を振ってくれるのが見えた瞬間、未来は自然に微笑んでいた。

「こんにちは、なつめさん。今日はちょっと風が強いですね」

「こんにちは、未来さんっ。……でも、寒くはないから、春らしい感じでいいですね」

 なつめは明るくそう言って、軽く跳ねるような足取りで近づいてきた。

 未来の服装にちらりと視線を向けて、「わあ、未来さんの私服、ちょっとレアかも」と嬉しそうに言う。

「そうでしょうか……? あまり特別な服装ではないつもりでしたが」

「だからこそいいんですよ。普段の未来さんらしさがちゃんとあるっていうか……ふふ」

 未来は、その言葉に少しだけ照れて、「ありがとうございます」と返す。それから、軽く咳払いして歩き出す。

 今日は少しだけ遠回りして、公園を抜けるルートでお昼へ向かうことにしていた。道すがら、なつめが見つけた小さな花壇に足を止めたり、風に舞う桜の花びらを指差したり。それに未来が穏やかに応じて、ふたりだけのやりとりがぽつぽつと重ねられていく。

 ランチは、未来が予約していた自然派レストラン。なつめの好みを思い出して選んだ、野菜たっぷりの穏やかな味のコース。

「うん、美味しい。こういうやさしい味、すごく好きです」

「良かった。なつめさんに気に入っていただけるか、不安だったんですが」

「未来さんのおもてなしは、いつも嬉しいんです。私、ちょっと甘やかされすぎてるかもしれませんね」

「いえ……甘やかしたいと思って、していますから」

 その言葉に、なつめが目を見開いて、そしてすぐに小さく笑った。

「好き、です。未来さんのそういうところ」

 未来は、水を一口飲みながら、目線を外すふりで照れ隠しをする。ただ、心の中では――今日という日が、特別な一日になる予感が、確かに膨らみはじめていた。

 そして、午後のティータイムを軽く挟んだあと、未来の提案で「夕ご飯、いっしょに作りませんか?」という流れになる。

「はいっ。楽しみにしてました、未来さんのキッチン」

「期待ほどのものではないかもしれませんが……手際よく動いていただければ、きっとすぐ出来上がります」

「ふふ、では、お手並み拝見ですね」

 そんなやり取りを交わしながら、ふたりは未来の自宅マンションへ向かった。

 キッチンに立つふたり。なつめはエプロンを借りて、髪をざっくりと結い上げる。

「……未来さん、この玉ねぎ、どこまで薄く切ったらいいですか?」

「目がしみる前に終わるくらいで、十分です」

「なるほど。優しさですね、それも」

 少し笑い合って、包丁の音が心地よく響く。手を動かしながら、言葉を交わしながら、ふたりでご飯を作る時間。その空気の中には、安心と、どこかくすぐったいときめきが同時に流れていた。

 できあがったのは、豆腐と鶏ひき肉のふわふわハンバーグと、野菜スープに、もち麦入りのご飯。テーブルに並べて、なつめが手を合わせる。

「いただきますっ。……あっ、ちゃんと未来さんの味だ。優しい」

「なつめさんの炒め方が上手だったので、野菜がとても甘いです」

 会話はあくまで自然で、でもどこかふたりの間だけの温度が生まれている。

 それは――このあと、ふたりの夜に続く確かな前置きだった。

 夕食を終え、食器を洗い終えたあと、なつめが鞄の中を確認して焦り出す。

「あっ……えっと? あれ?……寝間着、忘れちゃった?」

 その言葉に、未来の手がほんのわずかに止まる。

「そうでしたか。お気に入りの服などがあったのでは?」

「ええっと……持っていこうと思ってたんですけど、急いでて、すっかり……」

 困ったように笑うなつめを前にして、未来は一瞬だけ考え込む。

 パジャマの貸し出し……いや、他に選択肢がない。だが……。

 未来の自宅にあるのは、当然、自分のサイズのパジャマ。しかも上下セットで、上はボタンタイプのシャツ、下はゴムが緩めのパンツ。

 なつめの体格では――。

 上はワンピースのようになってしまうし、下は歩くたびに落ちる可能性が高い。

 上だけ、というのは、果たして。

 想像が、一瞬で頭を駆け巡る。なつめが、自分のシャツだけを身にまとい、袖が余って、裾が太ももを隠す程度で。

 落ち着け、私。

 「未来さん?」

 「すみません。少し考えごとを。よろしければ、私のパジャマをお貸しします。……ただ、サイズがかなり合わないかもしれません」

「ううん、大丈夫です。借りられるだけでありがたいですし」

 なつめがにこっと笑う。

 未来は納戸から、一番柔らかい生地のパジャマを選んで持ってきた。ダークグレーのシャツに、淡いブルーのチェック柄のパンツ。手渡すとき、未来の手が一瞬止まった。

 「念のためですが、下のパンツは……ウエストが緩いので、無理に履かなくても構いません」

「えっ、そんなに緩いんですか?」

「はい。もともと、あまり締めつけが好きではなくて。ですので、無理はしないでください。なつめさんの快適さが第一です」

「ふふ。なんだか、ちょっと照れますね」

「……私もです」

 なつめが服を持って脱衣所に向かうその背を、未来はそっと目で追う。

 私の服を着たなつめさん。可愛いだろうとは思う。だけれどそれ以上に、無防備すぎて……。

 それでも、なつめが自分の家でリラックスしてくれていることが嬉しいという感情が、そのすべてを上書きするように、胸の中でじんわりと広がっていた。

 なつめが脱衣所の扉を閉めたあと、未来はリビングのソファに腰を下ろして、深く息をついた。

 ……まずい。思考が、少しずつ逸れていく。

 ――なつめが今、服を脱いで、自分のシャツに袖を通していること。肌に触れる布の感触を確かめながら、胸元のボタンを一つずつ留めていること。それを想像してしまうこと自体、理性的とは言えなかった。

 ……落ち着け。深呼吸……。

 視線を逸らす先もなく、ソファの肘掛けに手を添えて指先を押し込む。やがてシャワーの音が静かに響き始める。

 彼女にとって、今日がいつもと違う夜になるかもしれないということは、私だけが勝手に意識していいことではない。

 未来はそう言い聞かせながら、自室で着替えを済ませると、なつめが使ったばかりの湯気の残るバスルームへと向かった。

 彼女の使ったタオルは丁寧に畳まれ、洗濯機の前に置かれていた。淡い桃色の香りが、わずかに空間に残っていて――。

 ……ほんの少し、くすぐったい。

 未来は目を閉じて、シャワーをひととおり浴びたあと、すぐに湯船には浸からず、そのままバスルームを出た。タオルで髪を拭きながらリビングに戻ると、なつめはソファに座って、ぺたんと膝を抱えていた。

 ――シャツの袖が手の甲にかかるほど長くて、裾は太ももの中ほど。髪はタオルでざっと拭いたように少しだけ跳ねていて、目が合うと、にこっと笑って首をかしげる。

「ちょっと、大きすぎましたね」

「はい、でも……ふふ、なんだか安心します。未来さんの匂い、するから」

 未来の心臓が、静かに跳ねた。

「あの……ありがとうございます」

 情けないほど、言葉がまとまらない。なつめはそのままソファの端に少しだけ寄って、「隣、いいですよ」とぽんぽんとクッションを叩いた。

 未来は頷いて、隣に座る。距離は、指先ひとつぶん。その距離が――これまでの中で、いちばん近かった。

 ソファに並んで座ったふたりは、照明を落とし、リビングのプロジェクターに、ゆったりした恋愛映画を再生した。

 柔らかな音楽と、落ち着いた演出。言葉少なな主人公たちが、ゆっくりと距離を縮めていく物語だった。その静けさが、ふたりの空気にも染み込んでいく。

 未来は、なつめの横顔を盗み見ないように注意を払いながら、少しだけソファのクッションに背を預けた。

 隣にいること。

 触れないこと。

 でも、そばにいるだけで満たされるような感覚。

 ……心地いい。

 なつめもまた、未来の手の甲をちらちらと見ている。けれど、きっかけをつかめず、膝に乗せた手をぎゅっと組んでいた。

 映画のクライマックス。主人公たちがようやく気持ちを通わせ、そっと手を重ねるシーン。その瞬間、なつめが小さく動いた。

 「未来さん」

 名前を呼ばれて、未来がそっと振り向く。なつめは、両手を前で組んだまま、恥ずかしそうに、でも真剣な眼差しでこちらを見ていた。

 「もう少しだけ、甘えてもいいですか?」

 未来の喉が、ごくりと小さく鳴った。

 「もちろん、です。……なつめさんが、そうしたいなら」

 その返事を聞いた瞬間、なつめは迷いなく、未来の肩に頭を預けた。柔らかい髪が頬にふれる。呼吸が、少し早まったような気がする。

 未来の肩に寄りかかったなつめは、くすぐったそうに小さく笑ってから、ぽつりと呟いた

 「未来さんの胸、落ち着きます。安心する音が、するから」

 「嬉しいです。なつめさんが、そう言ってくれるなら」

 未来は、彼女の手にそっと自分の手を添える。重なった指先が、自然と絡む。

 映画のラストシーン。主人公たちは、遠い未来を見つめながら、手を繋いで歩いていた。

 未来もまた、手の中にある温もりを感じながら――この手を、これからもずっと守っていけるようにと、強く思った。

 映画が終わっても、ふたりはすぐに動かなかった。画面がゆっくりと暗転して、静かな音楽だけが流れている。

 なつめは、まだ未来の肩に身を預けたまま、目を閉じていた。未来は、その体温の重みが愛しくて、少しだけ呼吸を浅くしていた。けれど、ふいに――なつめが、小さく動いた。

「……未来さん」

「はい」

「……そろそろ、寝る時間ですよね」

 その言葉に、未来の胸がひとつ鳴る。

「そうですね。……なつめさんのためにも、早めに休んだ方が」

 言いかけたところで、なつめがそっと顔を上げた。目元は穏やかで、でもほんの少し、照れているようにも見える。

「未来さんのベッド、ひとつですよね?」

「はい。私の部屋には、それしか」

「……隣、いいですか?」

 その問いは、甘えの言葉に見せかけた――確かな意志だった。

 未来の返事は、少しだけ間を置いたあと。

「もちろん。なつめさんが、そうしたいと思うなら」

 なつめは、言葉を返す代わりに、未来の手を取った。指先はほんのり熱くて、少しだけ震えていた。けれど、握る力はしっかりとあった。

 ふたりで立ち上がる。手をつないだまま、廊下を歩いて寝室へ向かう。

 明るすぎない照明が、足元を照らす。空気はやわらかく、静かに流れている。

 未来がドアを開け、なつめを先に招き入れる。ベッドの上には、薄手のカバーが整えられていた。

 なつめがそっとベッドに腰を下ろすと、未来はゆっくりと照明を落とし、ベッドの反対側に座った。

「緊張、してます」

 ぽつりと、なつめが言う。未来は、小さく息を整えてから返した。

「……私も、同じです」

 視線が合う。

 しばらくの間、何も言わず――それでも、もう後戻りしようとは思わなかった。

「触れても、いいですか?」

 未来が、静かに問いかける。なつめは、顔を少し赤くしながらも、しっかりと頷いた。

「はい……未来さんに、触れてもらいたいです」

 そして、ふたりの距離は――そっと、なくなった。

「触れても、いいですか?」

 未来の問いに、なつめは頷いた。

 目が合う。それだけで、少しだけ胸が熱くなる。未来はそっとなつめの頬に手を伸ばす。その手は、触れた瞬間、びっくりするくらい熱を帯びていた。

 ……震えている?

 なつめは気づく。未来の手が、ほんのわずかに、でも確かに、震えていることに。未来は、なつめの髪にそっと指を差し入れ、撫でるように下ろしたあと、おそるおそるシャツの胸元に手をかけた。

「ボタン、外しますね」

 その声は、いつもより一段と静かだった。一つ、また一つと、ゆっくり慎重にボタンを外していく、はずだった。

 「あれ?」

 小さく、未来がつぶやく。手が、止まっている。

 なつめが不思議そうに見上げると、未来は顔を伏せながら、指先を少しもどもどと動かしていた。

 「すみません。あの……この、ボタンが、意外と硬くて……その、ええと」

 未来さん……。

 なつめは、少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑ってしまった。

 「ふふ……未来さん、自分の服なのに」

 未来が一瞬、固まる。

 「……っ、情けないですね、私。いつもなら、朝の支度で慣れているはずなのに……なつめさんが着ていると、なんというか、その、距離が、違って見えて」

 言葉を重ねるほど、未来の顔はますます赤くなっていく。その姿が、あまりにも可愛くて、愛しくて。なつめは、自分から未来の手をそっと握った。

 「いいですよ、一緒に……外しましょう?」

 「なつめさん」

 なつめの手が、未来の手を導いて、ボタンをひとつ、またひとつと外していく。

 恥ずかしいのに、なんでだろう。あったかくて安心する。

 ボタンをすべて外したあと、シャツがすっと開かれて、なつめの素肌が淡い灯りに照らされた。未来の喉が、小さく鳴った。

「……綺麗です」

 ぽつりと漏れたその言葉に、なつめは少しだけ肩をすくめて、シャツの裾をぎゅっと握り直した。

「あんまり、見ないでください……緊張、します」

 その言葉には、戸惑いよりも――照れと、期待が混じっていた。

「すみません。でも、どうしても、目を離せなくて」

 未来の手が、なつめの肩から鎖骨に滑る。指先でそっとなぞるだけなのに、なつめの身体が小さく反応する。

「くすぐったい……けど、いやじゃない、です」

 その声を聞いて、未来はそのままゆっくりと、手を胸元へと移していく。指が、なつめの胸のふくらみに触れる。

 強くはない。ただ、手のひらで包むように、重さと温度を感じるような動き。

「……ん……っ」

 なつめの喉が震える。小さな声が、思わず漏れてしまった。

「どこが、気持ちいいか。……どこが、怖くないか。ちゃんと、見せてください」

 未来の声は少しかすれていて、それでも、どこまでも理性的だった。指先が、乳輪のまわりを円を描くようにそっとなぞり、ゆっくり、ゆっくりと中心に触れる。

「んっ……そこ……弱いかも」

「痛くは、ないですか?」

「うん……あったかくて、なんか……変な感じ」

「変な感じ?」

「なんか、くるって……奥のほうが、きゅってする」

 未来は小さく笑って、手のひらを、もう片方の胸に移す。

「じゃあ……こちらにも、同じくらい愛していると、伝えます」

 なつめの両胸を、優しく、交互に。押さずに、撫でる。つままずに、触れる。やわらかい曲線のひとつひとつを、確かめるように。

「未来、さん」

 なつめの声が、甘く濡れていく。未来は、彼女の腰に手をまわし、背中にゆっくりと指を這わせた。ぞくりと、なつめの身体が震える。

「ここも、感じやすいんですね」

「そんな、自覚……なかったです……っ」

「では、覚えておきます。また触れても、いいように」

 未来の声は、耳元で低く優しく囁かれる。そのたびに、なつめの呼吸が早くなっていく。

 未来は、彼女の脚に手を伸ばし――太ももの外側、内側、そして鼠径部へと、ゆっくりと指を運んでいく。

「っ……っ、あ……」

「ここは、どうですか?」

「……そこ、……すごく」

 未来の指が、ショーツの上から軽くなぞる。湿り気を帯びた布地越しに、なつめの熱が伝わってくる。

「なつめさん」

「……ん、なに?」

「愛撫だけで終わるなら……きっと、今夜は安心して眠れるんでしょうけど……私は、あなたの中に触れたいと、思ってしまってます」

 なつめは、小さく息を呑んで、未来の目を、しっかりと見つめ返した。

「私も……未来さんに、触れてもらいたいです。もっと、ちゃんと。……奥まで」

 ショーツを脱がせたあとの静寂の中、なつめは布団の端に指先を添えて、小さく呼吸を繰り返していた。

 未来は彼女の脚をやさしく開き、視線を合わせたまま、問う。

「……このまま、続けていいですか」

 なつめは頷いた。小さく、けれど迷いのない仕草で。

「……うん。……未来さんの、ぜんぶ、ちゃんと受け止めたいです」

 未来の喉が、ごくりと鳴る。 そして、彼は一度ベッドサイドの引き出しへと手を伸ばした。中から、ひとつだけ取り出す――小さな銀色の包装。それを見て、なつめは少しだけ目を見開く。けれど、未来の所作は一切乱れなかった。

 パッケージを静かに裂き、指先で中のそれを取り出すと、もう片方の手で自分自身をゆっくりと包むように整えながら、彼女の目を見つめたまま、コンドームを着けた。

 その動きは、どこまでも丁寧で、慎重で、そして、ほんの少しの緊張がにじんでいた。

 なつめは、それをじっと見ていた。自分のために、慎重になってくれていることが、はっきりと伝わったから。

「ありがとうございます。ちゃんと、守ってくれるの、すごく……嬉しいです」

「なつめさんのことを、大切にしたいんです。こういう形で、それが伝えられるなら……少しでも、不安が減るなら」

 未来の声は、震えていた。そして――彼は身体を重ねた。なつめの脚を抱え、慎重に腰を沈めていく。

 けれど、入口に触れた瞬間――なつめの身体が、びくりと震えた。

「……っ」

「痛い、ですか?」

「……痛くは……まだ、だけど……大きい、かも」

 未来は、すぐに腰を止めた。

「無理に進めません。……私の方が、大きすぎるのはわかってます。なつめさんが、やめたいと思った瞬間に、止めます」

「ううん、やめたくない……けど、ちょっと、怖い」

 目尻にうっすら涙が浮かぶなつめを見て、未来は額を寄せた。

「入らなくても構いません。なつめさんが、そう言ってくれるだけで……私は、十分です」

 けれど――なつめは、首を振った。

「最後まで……してください。怖いの、乗り越えたいの。未来さんとなら……ちゃんと、はじめてを覚えたいから」

 未来の息が、止まる。彼は、ゆっくりと、まぶたを閉じた。

「わかりました。……なつめさんの中に、ゆっくり、ちゃんと届きます。全部……愛してる、って伝えるために」

 そして、もう一度。

 未来は、ゆっくりと――ほんとうに、ほんとうにゆっくりと、彼女の中へと、身体を沈めていった。なつめの身体が、少しずつ慣れていくように震えながら、静かな涙が、こめかみをつたった。

「うん、きて……ちゃんと、奥まで……来て……」

 その願いの声に応えて、未来は、ついに――すべてを彼女の中に、そっと収めた。

 未来が、すべてをなつめの中に沈めたとき――時間が、ほんの一瞬止まった気がした。なつめの呼吸は、浅く、震えている。

 けれど、逃げようとはしなかった。痛みの向こうにあるぬくもりを、彼女はたしかに受け止めようとしていた。

「ありがとう、ございます。受け入れてくれて……」

 未来は、彼女の額にキスを落としながら囁いた。

「ここからは……なつめさんが気持ちよくなれるように、少しずつ動きますね」

「うん。……未来さんの動きなら、きっと、大丈夫だから……」

 その言葉に背中を押されるように、未来はゆっくりと腰を引き、また押し入れる。くちゅっ、と水音が微かに混じる。けれど、それすらもふたりの熱の証だった。

「っ……あ、……んっ」

 なつめの声が少しずつ甘く濡れていく。未来は、彼女の反応を一つひとつ確かめるように、丁寧に、慎重に、そして確信を深めるように動きを繰り返す。

「気持ちよくなってきてます?」

「うん、なんか、……奥が、きゅってなって……っ、ん……」

「かわいい……なつめさん……全部、気持ちいいって教えてくれて」

 未来の声が、いつもより少しだけ掠れていた。理性の中に、じわじわと感情が滲み始めている。なつめの中があたたかくて、やわらかくて――。

「……っ、なつめさんの中、気持ちよくて……正直、もう我慢できないかもしれない、です」

「いいよ、我慢しないで……私も、もっと、未来さんに感じてほしい」

 未来の動きが、ほんの少しだけ早まる。奥に届くたびに、なつめの身体が跳ねた。

「っ、あ……! そこ、……いっぱい、くる……っ」

「だい、丈夫、ですか……? 苦しくない、ですか?」

「ううん、……いっぱいきて、ほしい……っ、未来さんの、全部……!」

 未来はもう、彼女の名前を呼ぶ声に理性を奪われそうだった。

「なつめ、さん……大好きです、ほんとうに!」

 呼吸が乱れ、腰が深く打ちつけられるたび、なつめの身体は快感で震える。

「っ、んっ、んんっ、……っ、あ……未来さん、……私、……きちゃうかも……!」

 未来は、彼女の手を強く握る。

「一緒に、……いきましょう……最後まで……いっしょに!」

 そして――ひときわ深く、重なった瞬間。

 ふたりの身体がぴたりと重なって、快感の波が、胸の奥から突き上げてきた。

「っ、あ、あっ……未来さん……!」

「なつめ、っ……さ……!」

 未来はなつめの中で、強く果てた。同時に、なつめの身体も震え、声にならないほどの熱が抜けていく。

 静かに、でも確かに――ふたりは、ひとつになった。

 息が落ち着くまで、ふたりはしばらく何も話さなかった。未来は、なつめの身体をやさしく抱きしめたまま、彼女の髪にキスを落として、呼吸を合わせるように寄り添っていた。

「未来さん、」

「はい」

「ちゃんと、最後まで……嬉しかったです。少し痛かったけど、でも、嫌じゃなかった」

 未来は、そっと彼女の額をなでた。

「ありがとうございます。なつめさんが、私を受け入れてくれたこと……本当に、うれしいです」

 なつめは、未来の胸元に顔をうずめたまま、ぽそりとつぶやく。

「体力、持っていかれました……ぐったりです」

「それは、申し訳ないですね。では、ここからは私の番です」

 そう言って未来はそっと身体を離れ、布団の脇に置いていたタオルで彼女の髪を軽く拭いた。

「いろいろと、その……汚してしまいましたし、一度お風呂に入りましょうか」

「はい。行きます。連れてってください、もう足がへなへなです」

「喜んで、お手伝いします」

 なつめが立ち上がろうとすると、未来はタオルケットを肩にかけてあげて、片腕でやさしく支えながら脱衣所へ導いた。湯を張っておいた浴槽には、まだ少し熱が残っている。

「一緒に入って、いいですか?」

 なつめが聞くと、未来は一瞬だけ目を丸くして、すぐに頷いた。

「もちろん。……無理だけは、しないでください」

 バスタオルを外し、浴槽に並んで浸かる。ふたりの足が湯の中でふれるたび、なつめが「んふっ」と小さく笑った。

「未来さんって、湯船の中でも姿勢が丁寧ですね……背中、まっすぐ」

「職業病かもしれません」

「でも、こうして並んで入ると、なんだか……ほんとに、夫婦みたい」

「なつめさんがそう言ってくれるなら、私はもう……今日、世界でいちばん幸福な人間です」

 なつめは、照れながらも未来の肩に頭を預ける。

 お湯のぬくもり。お互いの心拍。

 言葉よりも確かなものが、そこに満ちていた。

 カーテンの隙間から、淡い朝の光が差し込んでいた。

 なつめがまばたきをして、ぼんやりと天井を見つめる。隣にある、規則正しい呼吸。そのぬくもりを確認するように、なつめはゆっくりと視線を横に向けた。

 未来が、眠っている。いつものように穏やかで、ほんの少し寝癖がついていて――それすら、なつめには愛おしかった。

 ……ほんとに、朝、だ。

 昨日のことは、夢じゃなかった。はじめてのキスも、はじめての夜も。全部、いま、隣にいるこの人と交わしたものだった。

 なつめは、そっと指を伸ばす。未来の手に、やさしく触れ、指先だけを重ねる。

 すると――。

 「……おはようございます、なつめさん」

 未来は目を開けず、声だけで応えた。なつめは、小さく笑って答える。

 「おはようございます。……起こしちゃいました?」

 「いえ。……なつめさんが、手を触れてくれたので、目が覚めました。とても、嬉しい目覚めでした」

 まだ重なっていた手を、未来がしっかりと握る。絡めるように、ふたりの指がひとつになる。

 「朝から、こうして手をつないでいられるの、すごく幸せですね」

 「はい。こんな朝が、ずっと続けばいいと、心から思います」

 言葉はそれきりだった。でも、ベッドの中で静かに指を絡めて、ぬくもりを感じ合うだけで、ふたりには十分だった。  ふたりの初めての夜は、こんな穏やかな朝に続いていった。