付き合い始めて最初の休日。ふたりは、水族館に向かっていた。
海沿いの大型施設。改札を出てからの道すがらも、なつめはずっと落ち着かなかった。何度もスマホを取り出してはしまい、肩のストラップを握る指が、いつもより少しだけぎこちない。
「水族館、久しぶりです」
「私もです。最後に行ったのは……たぶん、大学生のときですね」
隣を歩く夕凪の声は、いつものように穏やかだった。でも、言葉の合間にふと表情が柔らかくほどけていて、それだけでなつめの胸がそっと温まった。
館内は思っていたより人が多かった。親子連れ、カップル、観光客。けれど水の中を漂う生きものたちを見ていると、周囲の雑音が次第に遠のいていくような、不思議な静けさがあった。
展示エリアを歩く間、なつめはときどき、夕凪の横顔を盗み見る。穏やかな目元。水槽に反射する青い光を受けたその表情が、どこか少し幼く見える気がして、思わず胸がきゅっとした。
普段は「サークル代表」としての顔しか知らなかったけれど、こうして“恋人”として並ぶ時間は、まだ不思議なほど新鮮だった。
ふたりが足を止めたのは、青白く光るクラゲの展示コーナーだった。
ゆらゆらと浮かぶ小さな命。光の粒のように淡く透けていて、眺めていると、まるで時間の流れまでゆっくりになったようだった。
「かわいいですね」
思わずこぼれたなつめの声に、夕凪が少しだけ目を細めた。
「はい。透明なのに、ちゃんと命を感じる。不思議ですね」
「うん。なんか、夕凪さんが言うと詩みたい」
そう返すと、夕凪は少しだけ口元を綻ばせた。なつめはそれに気づいて、ほんの少しだけ得意げな気持ちになった。
次のエリアに進もうとしたとき、ふと、なつめが思い切って言葉を口にした。
「あの、よかったらツーショット、撮りませんか?」
「ツーショット?」
「はい。せっかくのデートですし。ほら、クラゲバックで、ちょっと幻想的な感じで」
カメラの向きを調整しながら、なつめは内心でどきどきしていた。でも、夕凪が自然にその隣に立ってくれると、少しだけ肩が落ち着く。
「じゃあ、笑ってくださいね?」
「苦手なんですが、頑張ってみます」
シャッターの音が響いた。画面の中で、ふたりの肩がそっと触れ合っていた。
撮った写真を少し確認してみると、なつめの頬はほんのり赤く染まっていて、夕凪も普段より少しだけ緊張したような顔をしていた。
「あ、思ったより距離、近かったですね」
「そうですね。でも……それくらいで、ちょうどいいかもしれません」
さらりと返されたその一言に、なつめの心臓がひときわ大きく跳ねた。
最後にイルカショーを見に行った。
屋外の観覧席で並んで座り、イルカが水しぶきを上げて跳ねるたび、観客からは大きな拍手と歓声が起こる。なつめは思わず笑って手を叩いた。
「わぁ、すごい。賢いんですね」
「ですね。なんだか、私たちよりもずっと息ぴったりかもしれません」
「わたしたちも、これから、もっと合ってくると思いますよ?」
「それは、楽しみですね」
その言葉に照れて、なつめは少し顔をそむけたけれど、夕凪の手がそっと自分の指に触れるのを感じた。まだ不慣れな距離。でも、確かに通じ合おうとする気持ちだけは、お互いに見えていた。
水の青と光の白が交差する場所で、ふたりの時間はゆっくりと、けれど着実に――深まっていくのだった。
