生まれて十八年の終末装置としての機能の備わったものに、存在とは反対の行為をさせる。それがいかに酷なことかと考える。考えて、そして考えても答えはでない。
廊下を歩きながら考える。やっぱり答えは出ないかとため息をつきながら角を曲がろうとしたとき、トンと誰かにぶつかった。
「あら、マスター」
「あっと、ごめんね、マリーちゃん」
「ふふ、いいのよ。貴女の足を踏んでしまったりしなくて良かったわ」
怪我はなくて? と手を差しだされる。彼女が王族のものだからだろうか、どこか壮大な感覚があるようで、それでいてただの少女の身体。そんな彼女は手を伸ばす。
温かい。その手は虫の姿の彼とは異なり温かく、姿は少女であるのにどこか母親のように懐かしい、ちぐはぐな感じがして目を瞬かせた。
「怪我は、大丈夫だよ。ありがとう」
「……、怪我は、ですわね」
「マリーちゃん?」
何かにつけて彼のことを少しでも思い出してしまう。それが少し恥ずかしいなと思いながらマリーの方を向くと、頬を両手で挟まれて観察するようにのぞき込まれる。
「いいえ、何でもないわ。……それよりマスター、もし良かったら私のお茶会に付き合ってくれませんこと?」
ぱっと手を放し、笑顔のまま問われる。今日も王妃様はおきれいですね。どこかで言ったかもしれない台詞が頭に浮かぶけれど、拒否をするという選択肢はない。伺うように首を傾けたマリーに対し、うんと返事をし、彼女とお茶会へ向かったのだった。
「マリーちゃんがお茶会に私を呼ぶのって珍しいけど、今日はどうして呼んでくれたのかな?」
「あら、それはマスターが悩んでいたように見えたからよ?」
「えっ、私が?」
「あら、気がついていなかったのかしら?」
薔薇の広がる庭園に用意された椅子とテーブル。その上にはふんだんにお菓子が乗せられたケーキスタンドと紅茶。そして咲いている薔薇の周りには蝶が戯れ、一対のつがいが戯れて飛び去った。その様子をマリーは眺めながら口を開く。
「マスター。オベロンとの関係は順調かしら?」
「お、オベロンとの関係は……」
「やっぱり。私たちが無理矢理マスターの足を進めさせてしまったから気になってはいたのだけれど、あまり良くないみたいね」
「うん、まあ」
「どの辺りがうまくいかないのかしら?」
告白は? それとももう抱きしめ合うような関係まで進んだのかしら? 先ほど廊下で見た母のような温かさはなりを潜め、年相応の少女が目の前でキラキラと目を輝かせる。
これは言えない。身体の関係まで進んでいて、それでいてセックスできなくなっていますだなんて。どう言おうかと口を開きかけたとき、マリーは先に口にした。
「……、冗談はいけないわね。マスターが本当に悩んでいること、何に悩んでいるかは分からなくても、分かるもの」
「マリーちゃん?」
「貴女が休暇を取った一週間。一度も姿を見せなかったから心配していたの。それでも休暇が終わった後、二人で出てきたときに、二人は契りを結んだのねって安心していたの」
でも今の貴女はどこか不安定に見えてしまってね、つい心配して声をかけてしまったのよ。
テーブルを挟んで目の前にいたマリーは、少し良いかしらと横に座り直して、手を握ってくる。その顔は、真剣だ。
「私、は」
「ゆっくりで良いわ。もし私で良かったら話してくださらない?」
「う、ん」
オベロンとは違うその瞳の色。それでもその瞳は真っ直ぐ心の扉をノックするようで。
「その、ね。マリーちゃんの考えるとおり、オベロンとはそこまで進んでる関係なんだけど、最近オベロンとしようとすると、うまくいかなくて」
「どううまくいかないのかしら?」
「えっと、それは……」
「大丈夫よ。ここには誰も来ないわ。それに女の子同士での恋バナって良いものでしょ?」
「……ありがとう。私が悪いのかもしれないけど、しようとするとオベロンが吐いちゃって」
一度吐き出された言葉は止まらずに、全てを語っていく。
オベロンが吐いたことに始まり、モルガンから伝えられたこと、終末装置としての彼のあり方、彼自身の在り方。
無理をさせすぎてしまったのかもしれない。そう思ってもどうしたらいいかなんて分からない。それで苦しくて、悩んでいたのだ。
「それは……、マスターはそれでも彼のことが好きなのよね?」
「うん」
「それだったら話は簡単なのじゃなくて?」
「簡単?」
どういうことだろう。真剣な表情からうって変わって朗らかな表情をしたマリーを見る。「確かに愛し合うことには身体を交わすこともあるとは思うわ。でも、身体を交わす愛以外にも愛ってあるのではなくて?」
「身体を交わすって……」
「真実でしょ? マスターはそれで今悩んでいる。それだったら一度最初に立ち返るのもいいと思うわ。見つめ合う。手に触れる。抱き合う。そんな些細なことでも幸せになれるもの。私も経験があるの」
マリー・アントワネットは生前王と関係を持っていたものの、何年か性交渉を行えない時期があった。それは女として、妻として屈辱的なものであったのかもしれない。それでも行為は行えないまでも、小さなことで愛を積み重ねていった。そうして最後の時だって同じであった。そんなことを思い出したのだった。
「あっ……」
「そうね、それは悲しいこと。でも、私にとってはあの人との大切な思い出の一つなの」
だから、私と同じでうまくいかなくても、それを悲嘆しないで。それも乗り越えて欲しいと思うの。少しずつ、少しずつ。それで受け入れられるように、受け入れてもらうように。そう動けば良いのではないかしら。
少しずつ、少しずつ。最初から。そんなに単純なことだったのかと思う。恋をして、それが叶って、最終的にはえっちをして。それから、どうするのだろう。オベロンよりは年上だけれど恋愛初心者の自覚のある私。私でも分からないんだったらオベロンにも分からないだろうし、それだって混乱することになるだろう。
「その、ありがとう……本当にありがとう、マリーちゃん」
「うふふ、いいのよ。なんだか昔の私を見ているみたいで、つい声をかけてしまっただけだから」
それより紅茶が冷めちゃうわね。今はそれを楽しみましょう? 確かに湯気も上げなくなった紅茶が目の前にあるし、お菓子だってもったいない。相変わらず慣れないけれど、それでもこの場を楽しもうと思ってカップを手に取るのであった。
