花火が打ち上がる中、サークルの輪がいつもより少しだけ華やかだった。
「えー!紫苑さん?!」
「うわ、久しぶり」
「ていうか来るなら言ってくださいよー!」
そんな声の中で、ふわりと現れた彼女は、前より少しだけ落ち着いた雰囲気を纏っていた。髪は上に結い上げられていて、浴衣もきちんとしているのに、どこか着飾っていない。紫苑が纏っている空気が、以前とは違って見えた。でも、笑顔は同じだった。
「んふふ、サプライズ復帰ってやつ~。っていうか、紫苑さんがいないと寂しかったでしょ?」
「それは否定しないです」
夕凪がいつもの調子で返すと、紫苑は小さく笑った。けれど、二人だけになった瞬間。その笑みはほんの少しだけ素顔に戻った。
「……終わったんですか?」
夕凪の問いに、紫苑は頷く。
「うん。法テラス、手続き完了。もう、会わなくて済むようになった」
「お疲れ様です」
「ありがとう……あの人とは、たぶん、これで本当に終わり」
彼女の目はどこか遠くを見ていた。だけれどそこには、決別でも怒りでもなく、ただ静かな終わりがあった。
「でさ――ちょっと思ったことがあるんだよね」
「何でしょう?」
「精神科とか、カウンセリングとかにお世話になっててね、そう言うのって、もう少し
普通に選べるようになったら良いのになって」
夕凪は目を伏せて、小さく頷いた。
「はい。僕もそう思います」
後日。サークルの掲示板に、一枚のポスターが貼られた。
≪オフィス近くのメンタルクリニック案内≫
≪カウンセリング予約方法・相談無料枠あり≫
≪「気分が落ち込む」「眠れない」そんなときは、無理しないで≫
デザインはシンプル。でもその隅っこに小さく書かれた一文が、紫苑の言葉らしかった。
「これは逃げじゃなくて選択です」
誰も何も言わなかったけれど、みんながそのポスターに一度は目をやっていた。そしてその中に――鈴木輝星の姿も会った。立ち止まって見つめる彼女の横顔は、何かを決めたような光を宿していた。
そのポスターは、活動報告の掲示と掲示の間、少しだけ目立たない位置に貼られていた。それなのに、輝星の目は自然とそこに吸い寄せられていた。
≪オフィス近くのメンタルクリニック案内≫
≪カウンセリング予約方法・相談無料枠あり≫
≪「気分が落ち込む」「眠れない」そんなときは、無理しないで≫
≪これは逃げじゃなくて選択です≫
最期の一文を、何度も、何度も読み返してしまった。
ずっと、逃げるのは負けだと思っていた。怖がるのも、避けるのも、心が弱いからだって。誰にも言えないのも、自分がおかしいからだって。そう思って、誰にも頼らずに、耐えてきた。
でも、それって。
苦しいだけだった。男性が怖いと感じるたびに、ちゃんとしなきゃと自分に言い聞かせるたびに、何かが剥がれていくような感覚があった。何もなかったように振る舞うたびに、本当の自分が遠くなる気がしていた。でも――。
「逃げじゃなくて、選択……か」
その言葉に、逃げることが悪いことという縛りがふっとほどけた。
帰ってからスマホを開いた。ポスターに載っていたURLを辿って、ページを開く。【ご予約はこちら】のボタンがまるで試すように画面の中で光っていた。
予約、しようか。……しよう。
指が震える。怖い。でも、このままの自分でいるのが怖い。
名前、年齢、連絡先。入力するたびに、輝星の心臓が早鐘を打つ。最期の送信ボタンに指を置いた。
「これって、変わりたいって思ってるってことだよね」
ぽつりと呟いて、指に力を入れた。画面が切り替わり「予約が完了しました」の文字が表示される。
次の瞬間、涙がこぼれた。静かに、勝手に、零れるように。
誰にも言っていない。誰にも褒められていない。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。でも――頑張ったね、って。今だけは自分にいってもいい気がした。
