100本ノック - 2/10

11、膝枕

 まるで眠るかのように頭を横たえているが落ち着かない。落ち着かない理由はわかっているのだが、どうしようもなく受け入れてしまっている現状にサンソンは顔を覆いたくなった。
「えへへ、サンソン、ありがとう」
「いえ、それにしても、なぜ急に膝枕をしたい、と?」
 膝枕をされているサンソンはは、目の前の少女に問いかける。すると、いつかの恩返し、と帰ってくる。いつだったかと思いをはせれば、何のことはない。作家サーヴァント達がいた図書室から彼女を運んだことがあったことを思い出した。ただ、確かその後に彼女からはお礼としてお菓子を貰っていたと記憶していたのだが。それを問いかけると、目の前の立香は微笑んだ。
「えっと、それはそれ、これはこれって感じかな。ただ、いつもシャルルには甘えてばかりだから、たまには甘えて欲しくって、それで膝枕を提案してみたわけですが、どうでしょう?」
「どう、とは」
「えっと、もっとこうやって甘えたいとか、ここをこうしてほしいとか、いろいろあったりするんじゃないかなって。ほら、くろひーなんかが『膝枕は男のロマンの一つですぞ』って言ってたし」
「なるほど、彼が言っていたことだったのですね。確かに立香を近くに感じられるという意味でこの体勢は好ましいものですが、少々刺激が強すぎる、と言いますか」
 そう言いながら目をそらす。サンソンがされている膝枕であったが、している立香はショートパンツをはいている。つまり足を出した状態で、膝枕をしていたのである。そのことを気にしていない、あるいは気づいていない立香はサンソンが目をそらせたことで、首をひねる。そしてそれから数秒たち、何か気づいたかのように目線を合わせてきた。
「シャルルってば以外と、”うぶ”なんだね」
「うぶ、とは?」
「だって、私の胸のこと、気にしてたでしょ?」
「な、気にしては……それよりも、リツカの足が冷えてしまわないか、そちらの方が気になりますよ」
「え、足?そっちのこと気にしてたのなら全然平気……というよりやっぱりそうやって意識していたんだ。えっち!」
 ふざけだした立香と、一瞬でも邪な考えを抱きかけて目をそらした自分に、何も言えないサンソンなのであった。

12、後朝

「おはようございます、リツカ」
「ん、おは、よう……シャルル」
リツカは寝ぼけながらも布団の中で、裸の体を丸める。サンソンはそんなリツカの頬にキスを落としながら、抱きしめた。
「リツカ、体は、辛くないですか?」
「んー、ちょっとだけ、腰が痛いかも」
「やはり、無理をさせてしまいましたね。申し訳」
「ない、っていうのは無しだよって前いったよね?」
「ええ、そうでしたね。すいません。改めてですが、ありがとうございます」
「うん、そうだよ。それでオッケー。シャルルも、ありがとう」
大好きだよ、という言葉と共に唇を合わせられた。

13、少しでも癒せるならば

「うぅ………う、ゃぁ」
 唸り声ともつかない小さな声にサンソンは目を開ける。サーヴァントに睡眠は必要ないが、カルデアにいる間ぐらいと、娯楽として睡眠をとっていた。誰の声だろうと目をこすりつつ、隣を見ると震える小さな体。その姿に原因が思い当たり、目の前の彼女をそっと抱きしめて背を撫でつける。すると、しばらくの時間を置いて、声と震えが次第に収まっていった。
 サンソンは先ほどまで震えていた立香の顔を覗き込むと、そっと彼女の目元を拭う。悪夢でも見ていたのだろう、寝ているときにしか泣けない彼女の顔をそっとのぞき込む。まだ幼さの残る顔には、それでもいくつもの特異点を超えた時についた細かな傷が残っていた。頬にも残るそれを一つ一つ確かめるようになでつけると、自分の持つスキルを使って傷を消していく。普段は「私のことより他の人のことを優先して」と、自分の治療は後回しにし、他のサーヴァントやスタッフの健康管理へとサンソンをまわしてしまう立香。サンソン以外に医療に携わるサーヴァントが今はいないカルデアであったので、彼女の体の傷は、最低限の治療を施されていただけであり、こうして彼女が寝ている間しか、サンソンはスキルを使えないのであった。
「リツカ、貴女はこれからも特異点へ向かって、こうやって傷作ってくるのでしょう。もちろんそれで救える世界はある。けれど、僕は。これは僕の身勝手な言葉ですが、マスターであることを抜いても、貴女には傷ついてほしくない。それは体も、心もです」
 本来であれば、ただの補欠として呼ばれた者であり、人理修復などを行う立場ではなかった目の前の少女。ただの一般人である彼女の肩にかけられた重たい運命を思いながら、サンソンは再び彼女を抱きしめた。

14、カモミールティー

「ひっ……、ぁ、ご、ごめん」
「いえ、大丈夫ですよ。ショックが大きかったでしょう。すぐに落ち着いて、とは言いませんから」
「う、うん」
 ベッドの縁に座って震える彼女をなだめるように声をかけつつ、カモミールティーを準備する。井戸から女性の幽霊が出てきて、井戸の奥底などが映ったビデオを見た人たちを呪い殺すという映画。それを見終えた後、すぐに砂嵐となったテレビを見て、立香は悲鳴を上げたのだった。
「その、サンソン」
「なんでしょう?」
「えっと、一人にしないで、欲しいなって。その、近くにいていい?」
「ええ、勿論。よろしければ、ドライハーブの入れ方を覚えていきますか?」
 ティーバック以外でいれたことはなかったですよね。そうサンソンが尋ねる。立香はサンソンのもとへと足を運ぶと嬉しそうに頷いた。
 サンソンは立香の横でゆっくりと分かりやすく指示をする。最初にポットにお湯を入れて数分放置。室温程度まで覚めてからポット内のお湯を捨て、ドライハーブをそこへ入れる。量はティーカップ一杯に対してティースプーン一杯。それに従って立香横は手を進めていった。それから数分。
「できた」
「ええ、これで完成ですね」
 二人の目の前には、温かく穏やかな香りが漂うお茶と、同色のハニーディスペンサー。せっかくならば二人分入れたいということから二つのカップ。立香が好んで入れていたので蜂蜜を。
 カモミールティーを集中して入れている間に映画のことは忘れたのであろう立香が、ほっと一息つく。
「失敗しなくてよかった。教えてくれてありがとう、先生」
「先生などでは。ですが、おいしそうですね。早速いただきましょうか」
「うん!」
 ここから先は二人だけの、夜も更けたティータイム。

15、独占欲

 一糸まとわぬ姿で絡み合い、互いの境界もわからぬほどにむさぼり合う。愛していると抱きしめ、その果てに感じる小さな死と淡い甘さのあるみまどろみ。
 生まれたままの姿で、もう荒い息をつくこともなく、互いを慈しみのある表情で見合っていたサンソンと立香は、立香を上にした状態で再度抱きしめ合ったまま
シーツの海へと体を倒す。立香はそのままサンソンの首筋に顔を近づけると、唇でそこを含んだ。
「んぅ……うまく、いかないなぁ」
「どう、されたのですか」
 立香の目の前のサンソンは、目を細めて問う。まるで答えがわかっているかのように彼女の赤い花びらに彩られたられたような首筋に手を伸ばした。
「むぅ。サンソン先生の意地悪」
「おや、僕は何もしておりませんが?」
「してるもん。私だってシャルルにこうやって跡をつけたいのに、つけ方教えてくれないし、キスの時だって、私ばっかり……私ばっかり」
 途中で恥ずかしくなってしまったのだろう、真っ赤になりつつ首筋で手を絡ませてきた立香に、おやっ、と首をかしげる。所有印に関しては言われることを考えていたのだけれど、ベーゼの時とは、と考える。しかし、彼が考えるよりも先に、恥ずかしさの沸点を超えたのであろう立香が、まくし立てるように話し始めた。
「私ばっかり、いつもキスの時のシャルルの、舌の動きとか、弱いところをダメって言ってるのにいじられたりだとか、それに、音だって。恥ずかしいけど、少しぐらいは私もシャルルのこと、シャルルに夢中になってほしいっていうか!」
 もう、恥ずかしいこと言わせないでよ、と、手をほどいて顔を隠すように立香はシーツをかぶった。とどのつまりは『自分がサンソンに夢中になっているし、それと同じぐらいサンソンにも夢中になってほしい。夢中にできるようになりたい』というかわいらしい事実の告白とお願いなのである。
 サンソン自身は常にとはいいがたいものの、立香と二人っきりで過ごせる落ち着いた時間には彼女のことで頭がいっぱいなのである。しかし、それを彼女に悟られるらせるように表に出すほど初な者でもない。所有印に関しても、つけられることも好ましいと思っていたのであるが、つけようと、覚えようと必死になっている彼女が愛らしく、ついそのままでいてしまったのである。
「リツカ、リツカ。顔を見せてはくれませんか?」
「む、むぅ……だめ。今絶対顔真っ赤だから、ダメ」
「リツカ。見せてくれたら……そうですね、リツカが教えて欲しいこと、一つ教えてあげますよ?」
「……本当に?」
 シーツの陰から目だけ見えるように、疑うような視線を投げてくる立香に微笑めば、太陽が出るような笑顔でシーツをめくって出てくる彼女。かわいらしいが、少し単純なところが心配になるなと思いつつ、裸の素肌を必要以上に見せないようにシーツでくるみ直す。
「えっと、そうしたら、待ってね」
「ええ、時間をかけてもいいですよ」
「ありがとう、シャルル」
 サンソンの上に相変わらず乗ったまま、考え始める立香。シーツでくるんだ後に手持無沙汰になってしまった手は立香の髪の毛を撫で、自然と彼女のおでこを見せる形となり、そこにキスを落とした。
「あ、それ!それ、教えて欲しいな」
「それ、とは?」
「さっきの。えっと……ちゅっ、って音立てるやつ」
 いくらやってもできないの、と音を立てるように口をすぼませてピスピスと空気音を立てる立香にサンソンは苦笑する。先ほどまで所有印だとか、深いキスについてだとか、若干いかがわしいとも思えることについて話していたのに、なんてかわいいお願いなんだ、と。そのまま笑い出したサンソンに立香は慌てて言葉を発する。
「だ、だって……エッチなこともいいけど、人前ではできないでしょ?でも、挨拶とかの軽いキスぐらいだったら、人前でやっても自然かなって。ほら、日本人だったら挨拶でキスとかしないけど、シャルルの国とかなら」
「ええ、親しい間柄では頬にビスを、キスをしますね」
「でしょ?だから」
「でしたら、僕にだけ。その条件であればお教えしましょうか」
 それはちょっとした独占欲。勿論立香と周りのサーヴァントとの絆の深さを考えれば挨拶のキスぐらいしてもおかしくはないけれど、それすらも独り占めしてしまいたいと思うサンソンなのであった。

16、IF:とある冬の日

 くしゅっ、という音に振り返る。今は十一月も始まったばかりの秋の終わり。安アパートだからと言って換気をしないとカビが生えてしまうからと、換気を提案した立香が寒そうに体を震わせながら、ソファでブランケットにくるまっていた。サンソンは出かける前にと、羽織っていたコートのポケットから手を出して、立香に近づいた。
「リツカ、もう換気は十分なのでは?」
「ううん、まだ。あともう少しだけ頑張りたいの」
 サンソンとしては、結局暖房をつけてしまえば結露ができるのだからと、あまり意味のないものに感じていたのだが、立香にとっては重要なことのようで、もう少し、もう少しと数十分耐えているのであった。
「もう少し、とさっきも言っていたけれど、このままだと風邪をひいてしまうよ?」
「大丈夫……くちゅん!」
 大丈夫といった瞬間にくしゃみをするとは、漫画か
アニメのようだと苦笑をしつつも予定を変更。近所のスーパーのタイムセールに間に合うように行くのは後回しにして、今は目の前の彼女にあたたかなものを飲んでもらうことにしよう、と考える。
「リツカ。本当に風邪をひいてしまう前に、窓は締めましょう。それで、良かったらチョコレートドリンクでも飲みませんか?」
「くしゅっ。……う、うん。わかった。サンソンのホットチョコはおいしいからね。作ってくれるなら、冷めちゃったらもったいないし」
 鼻と耳を真っ赤にしながら言う立香。そこまで寒かったのなら早めに準備しなくてはと、台所へサンソンは向かった。

17、幸せのカタチ

「手と手を合わせて幸せ、ってね」
 カルデアの廊下をサンソンが歩いていると立香が両手をあわせるようにしてサンソンへと近づくように歩いてくる。手元を注目すると、白いぬるりとした液体で塗れており、それがこぼれないようにと慌てていることがうかがえる。そのままサンソンに気づかない状態で直進してくる彼女に、このままではぶつかると思い、声をかけた。
「マスター、おはようございます」
「サンソン、おはよう。ちょうどよかった。今いい?」
「ええ、大丈夫ですが、どうされました?」
 手元に目線を送りつつ尋ねると、思い出したように片手からこぼれようとするそれを、手で押さえる。
「えっと、ちょうどよかったっていうのがね、これ。ハンドクリームなんだけど、さっき貰いすぎちゃって」
 カルデアスタッフの一人から分けてもらったハンドクリームだったが、分けてもらう時に出し過ぎてしまい、戻すわけにもいかずにどうしようと自室まで歩いているところであった、というのが立香からの説明であった。
「それでね、良かったらハンドクリームの残り、もらってくれないかな?」
「ええ、いいですよ。ただ、手を合わせてしまうことになりますが、よろしいのでしょうか?」
「いいよ?」
 立香はサンソンに、なんでかというニュアンスを含めて答える。立香にとって手を合わせるということは些細なことであったが、サンソンにとっては重い意味を持つもの。ただ、それでも立香は笑顔で、おずおずと手を差し出してきたサンソンの手を握り、もみこむように触り始める。
「やっぱり、サンソンって男の人だよね。手も大きくて、節くれているところもあって、かっこいい。好きだな」
「僕としては複雑なところもありますが、好きだと言われるのは、少々照れてしまいますね」
「えへへ、ちょっとそういうところはかわいいかも」
「かわいいと言われるのは心外です」
「怒らないで?だって私からしたら、サンソン先生はかっこいいし、かわいいし、いつもみんなのことを助けてくれていて、とっても頼りになる先生なんだから」
 途中から照れたように、少しはにかみながら立香は答える。そのままハンドクリームがなじむまで手を触り続けていたと思ったら、何かを思いついたのか、手を合わせるように形を変えた。
「手と手を合わせて幸せ、ってね?」
 CMで昔流れてたんだ、と立香は話す。合わせた手からは仄かに立香の体温が伝わってくる。それはとても心地の良いものであった。

18、ポッキーゲーム

「お、落ち着いて、サンソン。ギロチンじゃ扉は壊せないよ!」
 ポッキーゲームをしないと出られない部屋。扉に書かれた文字を見た瞬間にサンソンは宝具を展開しようとして立香に止められた。ポッキーゲームとは二人が向かい合って一本のポッキーの端を互いに食べ進んでいき、先に口を離したほうが負けとなるというゲーム。お互いが口を離さずに食べ切った場合、その二人はキスをすることになるので、主に合コンや酒宴で場を盛り上げるために行われることが多い。いらない聖杯の知識からそれを得たサンソンは立香に止められた後、へなへなと床に足をつく。その床にはご丁寧にポッキーやプリッツの箱が山となっていた。
「で、ですが、マスター。この部屋の扉を開けるには」
「うん。ポッキーゲームしなくちゃいけないと思う。こんな部屋を作るのはダヴィンチちゃんぐらいだし、なんでこんなことをしたのか聞かなきゃいけないけど」
 十中八九、癒しや休憩、サーヴァントの魔力供給の実験だというだろうが、天才の遊び心が生んだ部屋であるだろう。意味が分からないとさじを投げたくなるが、目の前の彼女の言う通り、ポッキーゲームをしなければ扉は開かないだろうし、彼女にも自分にも午後には予定がある。ここは天才の考える通りに腹をくくるしかないのだろう。サンソンは仕方がないと立香を見た。
「マスター、いえ……リツカ」
「うん」
「あまり好ましいことではないですが、いいですが?」
「うん」
 許可を得てからポッキーの箱に手を伸ばしてそれを取り出す。せめて気を紛らわせてほしいとチョコレートの部分を立香の口へと持っていく。立香は恥ずかしそうに目を伏せながら先端を咥えた。
「なるべく、早く終わらせてしまいましょう」
 羞恥と時間のなさから早めにことを終わらせてしまおうと、もう一方の先端をサンソンは咥えてポリポリと食べ進める。どんどんと距離は縮まっていき。
 それからどうなったかは、ご想像にお任せとしよう。

19、IF:パンの日

 あたたかな布団の中、立香は目を覚ます。外に顔を出すと、鼻がつんと痛むことからも目が覚めてくるが、布団から出してしまった足が冷え切ったことで覚醒した。冬の始まり。立香は冬が苦手であった。
「う……ん、さ、むいよ」
「リツカ。そろそろ起きてください」
 そう声をかけてきたのは一緒に暮らしているサンソン。彼は黒いスラックスに白いシャツ、その上から紺色のエプロンをかけた姿で立香の部屋の扉から顔を出していたが、声をかけてももごもごと布団の中で動いているだけの立香に、部屋へ入り、布団をひょいとめくり、手で彼女の頬に触れる。手が冷たいと抗議する彼女をよそに、頬をそのままこねくり回しつつ髪を整えた後、朝食ができているからと、彼女を抱き上げて食卓椅子の前まで連れていった。
「うー、サンソン。今日は」
「今日は食パンと昨日の残りのシチューですよ」
 昨日の夕方に行われたタイムセールでは、翌日、つまり今日であるが、今日がパンの日であるということを記念して、大量のパンが売り出されていたのだった。サンソンと立香はそれにより、昨晩も今目の前にある食事と同じメニュをとることになっていた。しかし、立香はパンにシチューという組み合わせが好きだったので、満足そうに、まだ寝ぼけながら頷くと、サンソンの胸にそのままぐりぐりと顔をこすりつけた。

20、いつかは別れるだろうが

「サンソンは受肉できるとしても、したいと思わないの?」
 いつも通り警護のためと、サンソンが立香の部屋を訪れ数時間。夜も更け、眠りにつこうと準備しながら部屋の主はベッドの端に座りながら、扉の前に立ったままのサンソンに尋ねた。
「そうですね。したいとは、思わないかと思います。この旅が終わり、リツカが元の世界で普通の人間として暮らすところ。それを見ることができないのは残念なことですが、僕は過去に生きていた者なのです」
「そっか。じゃあさ、私と一緒に生きたいとは思ったりはしない?」
「それは、生きれるなら共に生きたいと思うことはあります。ですが、僕はあなたのサーヴァントであって。
リツカ、君のことは勿論大切に思っている。ただ、僕の中にはその選択肢が最初から無い、というだけなです」
「そっか。うん、わたしもその言葉が聞きたかったんだけどね。それを前提に、聞いてほしいの」
 でもその前にちょっとこっちに来て、と自分が座っている隣にに座るように促す。サンソンは促されるままに隣に座り、立香を見る。立香もサンソンのことを真剣な顔で、少し寂しそうにしながら口を開いた。
「あのね、サンソン。私は今まで生きた中で誰かを好きになったり、恋をしたこととか、特定の人をそういった意味で愛したこともなかったの」
「ええ」
「でもこの旅の中で君と出会って、君を好きになって、好きになってもらえて、すごく嬉しいの。それで、私。これ以上愛してもらえることなんてないって、愛してほしい人なんていないって、そう思うけど、それでもこれを最後の恋にしちゃいけないんだって、そう、思って」
 いつ命を絶たれてもおかしくない戦場においても、涙一つ見せずに味方に指示を出している彼女が、サンソンの目の前で肩を震わせる。それでも言葉を続けようと、必死で口を動かしていた。
「私、今が幸せだけど、サンソンと幸せになりたいと思うことはあるけれど、それでも、ちゃんと一人の人間として、元の生活に戻ったら、もっと幸せになりたいって、思います」
「ええ」
 いつかは訪れる別れ。その際に自分は立香を手放すことはできるのだろうかと思うところもある。だけれど、自分にとらわれて彼女に幸せを逃してほしくない。彼女のことを大切にしてくれる誰かと共に生きて欲しい。そう願わずにはいられないのであった。

おまけ

「マスター、素材は集まりましたよ」
「よし、それじゃあ戻ろうか、私たちのカルデアにね!」
「ええ」
 今日も今日で、きっと外は隣にいる彼の瞳のように綺麗な色なんだろうなと立香は考える。人理修復、異聞帯の戦い。すべて終わった立香に待っていたのは一般人に戻る道ではなく、カルデアでの生活であった。世界を救った魔術師として功績がたたえられ、一般人として生活するには危ない域まで知れ渡ってしまったのであった。
 当時はダヴィンチやホームズ、その他職員たちも、世界を救った藤丸立香という一魔術師に関するデータを消すことに時間を費やしていた。しかし、それも流出するのは時間の問題であったようで。各国からその世界に関する専門家が集まり、カルデア中のシステムを解析しようとしたら出てくる資料に、当時の解析班は目を丸くしていたのだった。
「マスター、少々よろしいでしょうか?」
「うん、どうしたの、シャルル?」
 リツカの隣にいたシャルルがふと何かを思い出したように顔を立香の方へと向ける。そして、内緒話でもしようというように手を招いたので、立香は素直にサンソンの顔に耳を近づけた。
「……リツカは、ちゃんと幸せになれていますか?」
 ぼっ、と顔から火が出るかのように熱くなる。サンソンが言っていたのは数年前のいつかのこと。もうすぐ旅の終わりだと、そう肌で感じられるようになっていたころ。彼と離れ離れになってしまうと思ってついた強がりであった。
「うん。最初思っていたのとは違うけどね。シャルルは、私と一緒にいて、幸せって、感じてくれてる?」
「ええ、勿論」
 見上げたサンソンの頬はほんのりと赤く染まっており、立香はそれに満足げに笑みを浮かべたのであった。