100本ノック - 5/10

41、視線

 解剖学、病理学、機械工学。沢山の書物と、格闘しつつノートを取るサンソンの姿。何故彼がそんなことをしているかと言えば、現代の知識を少しでも体で吸収することで、自分のできることを増やしたいという彼の考えからであった。
「どう、サンソン。捗ってる?」
「ええ、あと少しでここも終わりますので」
「そっか。私も頑張らないとな」
対して、対面で、興味を持つのを辛そうにしながらペラペラと本をめくりつつ、時折絵を描いたりしているのは藤丸立香。眠さも相まって、魔術の初歩と書かれた本をそろそろ閉じて一緒に部屋に戻ろうとして声をかけたところ、返ってきた言葉。目の前のサンソンは真面目で知識に貪欲である。ただ、勉強しすぎるのもよくないだろうし、どうしたものかと彼をこっそりと見つめた。
サンソンと立香はこうして仲良く勉強をしているだけではなく、付き合っているような仲で、これは必然なのかもしれないが、立香は見つめている間に、無意識にサンソンの事を観察しだした。
身長は今座っているからよく分からないけれど、自分よりずっと高い。彼の特徴である黒い外套が細身に見せているけれど、それを脱いだら以外とガッチリとしている身体。それを知らしめているような、今はシャープペンシルを握っているごつごつとした手と、そこに繋がる逞しさがある腕。顔は平均的日本人である立香にはない高い鼻がスッと通っているし、ノートを真剣に見つめる瞳は、冬を想わせるような淡い空色をしている。
改めてかっこいいな、そう思いながらも見つめていると、合う視線。サンソンが困ったように笑みを浮かべながら立香に問いかけてきた。
「リツカ、どうかされました?」
「え。ううん、なんでもないよ?」
「そうでしょうか。程から僕の方を見ていたようなので」
「う。見ていたのは確かだし、ちょっとかっこいいなとか思ってたけど」
「けど?」
「勉強したら邪魔かな?とか、勉強の邪魔になるかな?とか考えちゃって、あとはやっぱりかっこいいなって?」
「二回も言わなくて大丈夫ですよ。僕がリツカから見てどう見えるかは置いておきましょう。見られている、というのは多少落ち着かないところもありますが、勉強の邪魔にはなっておりませんよ」
それに、とノートを立香に見えるように広げつつ、続ける。
「今日はキリのいいところまで終わりましたし、続きは立香の部屋で行いましょうか」
もちろん勉強の方ではなく、ですよ。いたずらっ子のような笑みに含まれる続きの文字は、いったいなんの続きなのか。まさかさっきしていた観察の続きなのか、それともかっこよさに少し滲ませてしまっていた感情を汲み取ったものなのか。
立香は分からないままこくりと頷いたのだった。

42、白ツツジの音

しとしとと、雨が降り続ける。雨は降り続け、最初は小さな粒だったものが、葉に積もり、流れ落ち、大きな粒となって地面に当たって、辺りに弾け飛ぶ。
大粒の雨を避けて、立香とサンソンは寂れたバス停近くの小屋に隠れる。日本人に丁度よいサイズに作られていたそこは、サンソンにとっていささか大きさが小さいようで、屈むようにして入ってきていた。
「マスター、雨に濡れてはいませんか?」
「ちょっと濡れてはいるけれど、大丈夫だよ」
会話が途切れ、しとしと、ぱちゃぱちゃと、雨音が声なき場所に広がる。立香は道の向かい側に咲いている白ツツジの花を何気なく見つめた。
日本の極小特異点へのレイシフト。放っておいても問題はないと言われていたそこへだが、魔力リソースのためと、彼女たちは向かったのだ。だが結果は、レイシフトした瞬間にほぼ全てのサーヴァントたちが弾かれ、散り散りに。偶然に立香の近くにいたサーヴァントがサンソンだけとなっていたのだった。
「マスター、少々失礼しますね」
「えっと、どうしたの?」
花を見つめてこうなった原因を考えていると、そっとサンソンが立香の手を取って、自身の外套の中へとそのまま導く。サンソンが自分から手を取ることなど今まで無かったことで、立香が驚いていると、サンソンは口を開く。
「マスター、随分とお体が冷えているようですが」
「え?本当に?」
「本当ですよ。体も震えていますし、それから、唇も真っ青になっておりますよ?」
本当に寒くはないのですか。そう問われて、ようやく身体が寒さを感じ始める。
「ちょっとだけ、寒いかも」
「でしたら、僕のコートを羽織っていてください。一度失礼しますよ」
コートを編んでいるエーテルを一度解き、再び編み直すことで乾燥させ、立香にそのまま羽織らせる。
「えっと、いいの?サンソンは寒くない?」
「僕はサーヴァントですから、大丈夫ですよ」
コートの裾が地面に付かないように工夫をしつつ上までしっかりと閉めると、黒いてるてる坊主のようになった立香に微笑みかける。立香はふいと視線をそらすも、高まった心音は、サーヴァントであるサンソンには、雨音と共に、心地よく耳に響いていたのだった。

43、ローションパックの日

「これで、いいのかな?」
物資の少ない中、良かったら使って欲しいと言われて受け取った化粧水。お化粧なんて、カルデアに来る前だったら「まだ早い」と言われていたなと思いつつ、マリーちゃんに貰ったものもあわせて使ってみようと、お化粧品を入れたボックスに手を伸ばす。
「そういえば、こんなものもあったね」
バレンタインに円卓の太陽の騎士から受け取った化粧品一式。日焼け止めをメインとしているそれは、貰ったはいいけれど使う機会もなかなか訪れず、ボックスの奥底にしまわれていて、覚えてはいたけれど、使ってあげたいけど、どうしようかと悩んでいたものだった。
そのままごそごそとボックスの中身を一つ一つ確認する。化粧下地、ファンデーション、チーク、アイラインとシャドウ、その他にも色々。それから今回貰ってきた新しい化粧水と乳液。マリーちゃんやマルガレータさんを中心に、職員の方や、時にはロマニからも沢山のものを貰っていたもの。
改めてどこかでお礼をしたいなと考えながら、ふと、サンソンが化粧をした私を見たらどんな反応をするのか気になる。綺麗だと思ってくれるか、それとも普段の方がいいのか。もしかしたら、珍しいものも見れるかもしれない。
そう考えると、今からでも試してみたいと思うけれど、午後十一時。すでに目がしぱしぱとしている状態でするのも悪いし、お礼をと言いつつ、どうせだったら綺麗に化粧をしたいと考えて、それだったらあの子達も呼ぼう。それで一緒にお化粧をして、サンソンに会いに行って。
一度化粧ボックスに全てを詰めて、蓋を閉じ、そのままベッドへと潜り込む。明日を楽しみに目を閉じた。

44、負けず嫌い

「何をやってもサーヴァントに勝てないのは分かっているけどさ」
立香は目の前にいるダヴィンチちゃんにそうこぼす。ふむふむと頷きながらいい笑顔を向けてくるダヴィンチちゃんに、相談する相手を間違えたかと思いつつも、ダヴィンチちゃんにしか相談できそうになかったので、そのまま口を開く。
「身体応力とか魔術ならまだ分かるの。それに、人生経験も差があるから、人に対する気遣いとか。でも、その」
「性交の時にもそれが発揮されるのが解せない、ということなんだね?」
「そうはっきり言われるのはアレなんだけど、そう。エッチの時にも私ばかり夢中にさせられちゃって、何て言えばいいのかな、えっと……」
「自分ばかり夢中にさせられるんじゃなくて、自分もさせたい、と。なんともまあ可愛らしい話じゃないか」
「からかわないで欲しいな!でも、そうなんだよね」
「サンソンくんは史実でもプレイボーイだったというじゃないか。そんな彼に性技で勝てる方法があるのかな?」
私は天才だから、何をしてもいいというなら任せてくれたまえ、といいたいところだけれど、そういうことではないのだろう?ダヴィンチは立香に問いかける。
「そうなんだよね。ダヴィンチちゃんに相談している割には悪いけれど、そうじゃなくて、お薬とか、機械じゃなくて、自分の魅力っていったら恥ずかしいけど、それで夢中になって欲しい」
「そこは気にしないでくれたまえ。私としては、藤丸くんからそういった話を聞けるのも楽しいのだからね。っと、話がそれたけれど、キミの魅力で好きになってもらいたいなら、まずは素直になってみたらどうだい?」
「素直って?」
「『サンソンにもっと私に夢中になって欲しいな』と言ってみる、とか?」
「いや、むりむり!それが言えたら、言えたら」
「おや……?」
「そういえば、思っていただけで、そんなこと言ったこと無かった」
ちょっと言ってこようかな、と立香はダヴィンチちゃんにお礼を言ったあとに、待ちきれないと言った顔で立ち上がって、扉へと向かう。
それを言ったところで、また敗けを重ねるんだろうと予測はできていたけれど。それでもダヴィンチは恋する若者を微笑ましげに、楽しそうに眺めていたのだった。

45、ラナンキュラスと少女と

「マスター。次はどうするのかしら?」
「おかあさん、準備できたよ?」
「初めてこんなことをしましたが、なかなかうまくできているののではと思いまして……どうでしょう?」
漂う土の香りと、辺りには小さな花々。レクリエーションルームでの土いじり。マスターと、ナーサリー、ジャック、それから意外なことに子ギルを中心に、花壇に植えられていくお花たち。保護者サーヴァントとして、何故かフランス組と呼ばれる面々と、プラスアルファ何人かのサーヴァントが、部屋の角でお茶会を開きつつ、見守っていた。
「これは、甘いな」
「サリエリ、あまり食べ過ぎてはいけないよ。と言っても、食べていないとマスターに迷惑をかけてしまうか」
「そこは医者としてはお薦めできませんが、君の言うとおりだ、シュヴァリエ。それからアマデウス。あまり下品なポーズを取るんじゃない」
王妃がいれば違ったのかもしれないが、どうしても自分でお茶をいれたいと言ってキッチンへ向かってしまったのが数分前。若干無法地帯となりつつあるところであったが、アマデウスとサンソンが取っ組み合いを始める前に、サリエリとデオンが止めに入った。
「あまり五月蝿くすると、マスターの邪魔になるだろう、アマデウス」
「そうだ。どうして君たちは、会えば必ずと言っていいほど喧嘩を始めるんだい?」
少しはマスターたちの事を考えた方がいいんじゃないかい、とデオンは話ながら、そちらを見る。
マスター達は、いつの間にか花を植え終わり、あとは片付けというところになっている。作業中の土からエネミーが出てきたり、素材が出てきたりと言うトラブルもなく、無事に終えるだろうなと安堵の息を吐き出した。
「ほら、マスターたちの作業ももうすぐ終わるようだよ。片付けは手伝うんだろう?」
マスターはもちろん、いくらサーヴァントとは言え、子供の姿をしたものに土の塊を運ばせるわけにはいかないだろう。立ち上がり、手伝いに向かおうとすると、それに続くだろうと思っていた黒い影が、デオンの前に現れ、マスターにまっすぐ近づいていく。
「サンソン?」
マスターの前に立ったサンソンは、さっとマスターの頬を撫で、二言三言と話し出す。マスターはそれに驚いたり、顔を赤くしたり、晴れやかな笑顔を浮かべる。
「まったく、せっかくマスターを一人占めできると思ったのですが、結局こうなるんですよね」
「君は、ギルガメッシュ」
「うーん。マスターと同じで『子ギルくん』って呼んでもらってもいいですよ?」
「それは」
「マスター以外に子供扱いされるのは、とも思いますけど、金ぴかのあの人と一緒の呼ばれ方をするのもって思いまして」
それよりも、見ました?頬についていた土を払っているところ。ナチュラルに出来るのって凄いですよね。
まったく凄いと思っていない、むしろどこか拗ねたような口調で言っている子ギルは、邪魔をするように、植え残しのラナンキュラスを見つけて、マスターの元へと駆け寄る。デオンはそんな風景を苦笑しながら見つめていたのだった。

46、傘の日

「うぅ、寒い。また雨なの?」
「マスター、良ければこちらをどうぞ」
レイシフトをした先では豪雨が発生しており、サンソンと立香は降り立った瞬間にずぶ濡れとなった。既に先行としてこの地にいるサーヴァントたちと連絡を取るために、彼らのいるはずの建物へと向かおうとするが、その前にと、サンソンが何故か持っていた傘を広げる。
「僕は後で霊体化」
「すればいい、とか言わないで入って?」
「それではマスターが濡れてしまいますよ?」
「いいの。一人で濡れずにいて申し訳なくなるより、こうやって二人で一緒に入った方がいいもん」
サンソンは、敵いませんねと立香の必死に伸ばす傘に入り込んで、柄を代わりに持つ。昔であったのなら、意地でも入らなかったのだろうなと思いつつ、こうやって自分の影響で変わっていく彼を好ましく思ってしまうのだった。
「マスター、どうされました?」
「ん、何が?」
「いえ、笑みを浮かべていらしたので」
「ちょっと感慨深くなっちゃって」
立香は考えていたことをサンソンに話す。好ましいと思っているところまで話すと、サンソンは苦笑した。
「リツカ。それはリツカがいつもそうやって僕を見ているからですよ。僕が意地になって傘に入らなかったとしましょう。そうしたらリツカはどうしますか?」
「私も入らないと思う」
「でしょう?それでしたら、最初から入って、二人で濡れた方がいいと思いまして」
「つまり、めんどくさいことになる前に意地を張ったりしないで行動した方がいいってこと?」
「結果としてはそうかもしれませんが、そうではなく。僕のことを、リツカは大切にしてくれている。それを僕は理解している。そういうことです」
「そ、そうなんだ」
サンソンのまっすぐな言葉になんと返せばいいのかと考え、言葉が続かなくなる。
雨音は先ほどと同じ激しさが続いており、それに気がついた二人は、肩を寄せあって、片方の肩を雨に濡らしながら、拠点になっているであろう場所へと急ぐのであった。

47、愛してる

「あ、あいして……ふふっごめんってば」
「リツカ、あと3分ですよ」
最近カルデアで流行っている、〇〇しないと出られない部屋に閉じ込められた立香とサンソン。部屋で目を覚ましてすぐに何が起こったのか察したのは忘れたいと思いつつ、何をすれば出られるのか、とんでもない指令じゃないだろうな考えながら、眠っていたベッドサイドに置いてあった紙切れを手に取る。
『「愛してる」って笑わずに言わないと出られない部屋(40分以内)』
 そんなことがそこには書かれており、立香はがっくりとうなだれた。サンソンはすぐできるだろう。けれど、自分はできるのか。立香は想像してみる。
「そんなこと、本人を目の前にしなくたって言えないよ」
「どうしました、マスター?」
 同じく起き上がって、あたりを確認し終えたサンソンが声をかけてくる。立香は紙を渡しながら、書かれていたことを説明した。
「ふむ、そうですか。ほかの人に聞かれている可能性を考えるとあまり気が向きませんが、愛していますよ、
リツカ」
「はわわ……わ」
「リツカは?」
「え、えっと、わ、私は」
「ええ」
「私も」
 そう答えるけれど、当然開錠音が鳴るわけもなく。立香は真っ赤に、サンソンは冷静にあたりを見回しながら分析をする。
「やはり、直接言わなければいけないのか、それとも僕の言い方に問題があったのか」
「サンソンの言い方には問題なかったと思うよ」
 ちゃんと愛してるって言ってくれたし。私が言っていないだけでしょ。そう立香は言う。ただ、愛しているというだけでいい。笑わずに。それだけであるのにも関わらず。
「あ、あ……やっぱりダメ!」
「リツカ」
 最終的に腰を抱かれ、ほぼ密着状態で、サンソンにしか聞こえないような声量で言おうとしたところでも、無理だと立香は逃げてしまっていたのだった。

48、特別な人

「んっ……」
最初は額、次は瞼、頬、口顎、首筋、それから。
口づけをしていき、舌で、手で、身体で、彼の身体を愛撫しながら、自身の興奮も高める。サンソンが立香にするように、自分もサンソンにしてみたい、気持ちよくなってもらいたいと言い、許可を貰うまでに数分。それから意を決して行動するまでにも数分。口づけを落としながら、相手の身体を覚えるように触れながら、下へ向かっていく。肌蹴させたタイやシャツはどうしていただろうと思い、足の間に座ったような状態で、ふと顔をあげると、下を向いていたサンソンと目が合い、思わず笑顔をこぼした。
「マ、リツカ。あなたが愛らしいのは、とても好ましいのですが、そこで微笑まれるのは」
「ん?どうして?」
目をそらしたはずなのに、サンソンの目には立香が小首をかしげているようすが映り、頭を抱えたくなる。
これがもし、娼婦であったり、生前の遊びのような相手であったのなら、わざとそんな態度を取っていると分かるのだけれど、立香がするそれは、まったくの無意識である。
無意識でそんなことをする相手には、お仕置きをしてもいいのではないかという嗜虐心が首をもたげるが、それを抑え、サンソンは立香に声をかけた。
「どうして、ですか。リツカは今、自分がどんな顔をしているか、分かりますか?」
「え、ううん」
「目の縁は赤らんでいて、唇もうっすらと腫れている。肌も全体的に赤みを帯びておりますし、興奮からでしょうか。ご自分の足で小陰唇付近の愛撫も行っているでしょう?」
「えっと、……うん」
「そんな姿もですが、蕩けた顔で見られてしまうと、乱暴に致してしまいたくなるのです」
乱暴に致す、という言葉に一瞬沈黙をするも、ぼんっ、と音が鳴りそうなほどに一瞬で立香は赤くなり、そして俯く。
「えっと、シャルル」
「はい」
「シャルルなら、好きにしても、いいよ?」
他の人は絶対に嫌だけど、シャルルは特別。特別な人だから。
どうしても伝えたかったのか、俯いていた顔をあげて、言葉にする。サンソンはその言葉に、再度頭を抱えたくなったと同時に、絶対に今晩は優しくなんか出来ないだろうと、理性の糸を切り離していったのだった。

49、忘却の忘却

「サーヴァント、アサシン。真名は……リツカ?」
お決まりのセリフを口にしようとした瞬間に流れてくる記憶の濁流。通常の聖杯戦争であったならば、真名をマスター以外に語ることもない。なので、自分のようなサーヴァントを召喚した術者に対し、断わりをいれようと思っていた。ただ、その前に流れてきた記憶と、目の前にいた少女の顔が一致し、今まで共に歩んできた記憶も合間って、マスターの名前を口にする。
「さ、サンソン。本当に、サンソンなんだよね?」
「ええ。貴女と共に人履修復を成し遂げたサンソンです」
「やった!また会えたんだね!」
私のことも、何もかも忘れていないんだね。そう言いながら、飛び付くように、大切な者を今度こそ離さないようにと、立香は抱きしめる。抱きしめられているサンソンは、退去後の記録がないので、どうなってしまっているかがわからないけどといった様子であったが、おとなしく抱きしめられていた。

50、感謝

「サンソン、いつもありがとうね!」
「リツカ?」
突然かけられる言葉。いったいどうしたのだという意味を込めて、名前を呼ぶ。サンソンの目の前で微笑んでいたリツカは、はっとしたように、慌てて声を発した。
「その、いつもなかなかお礼を言えないし、言えるときに言った方がいいのかなって、ふと思って?」
「ああ、そういうことでしたか。何か起こったのかと思いましたが、安心しました」
「突然言われたらそうなるよね。ごめん」
「いえ、気にはしておりませんよ。ですが、言われるだけ、というのは。なので、僕からも言わせて貰えませんか?」
そう言いながら、サンソンは片膝をついて、立香の手を取ると、その手を自身の口元へと持っていく。まるで円卓の人達がするようなその態度に、立香は赤くなりながら辺りを見渡して、誰もいないことを確かめてから、サンソンを見つめる。
「リツカ、愛おしい人。僕は騎士などではないですが、リツカに感謝を」
「え、えっと、サンソン?」
「今はシャルル、と。僕のような者をいつもそばに置き、共にいてくださる。聖杯も夢火も、僕に一番最初にくださって。そのお気持ちにも感謝をしたいです。それに貴女が皆に向けている笑顔はとても眩しい。時折僕にだけ向けてくださる、今のような顔も、とても愛おしいと思っております」
他にもありますが、あまりこうしていると、他の方に見つかってしまいますからね、とそっと触れていた立香の手に一つ口づけを落とし、そして離れる。立香は再度顔を赤くしつつ、さっと手を引っ込める。
「しゃ、シャルルって」
「はい」
「……たまにこういうことするよね!」
「おや、お嫌いでしたか?」
「そうじゃないけど」
ちょっと感謝の気持ちを伝えたいと思ったらこんなことになってしまったと、頬を膨らましながら、上目使いで恥ずかしさからの怒りを表す。
サンソンはそんなところにもかわいさを感じながら、自身の主人であり、恋人である少女の額に唇を落とすのであった。