71、何度だって
「もう、やめてよ!」
絞首台の元へと足が向く。ここに来るまでに、何度も何度も彼を止めるために考えつく限りのことをした。離れないようにした。令呪を使おうとした。それでも、何をしても、彼を救えなかった。彼の願いが叶ったという意味では救われたのかもしれないけれど、それでも救えなかったのだった。そのまま振り払えない圧力を感じつつ、それから無理やり逃れるために体を動かそうとしたところで目を覚ました。
「すた……ますたー、リツカ!」
「さ、サンソン?」
「ああ、よかった。こちらで拭いてください」
サンソンは立ったまま濡れタオルを差し出す。起き上がろうとして感じた揺らぐ視界に、自身が泣いていることに気づき、慌ててタオルを受け取って、目元を拭った。
「すいません、間違えでなけれは、また夢を?」
「うん、ごめんね。何度もあの夢を見ちゃって」
「いえ、いいのです。ただ僕がしたことでマスターがこのようになってしまうことが申し訳なく」
「それは大丈夫だよ。私個人が今こうなっているだけで、サンソンのことは認めているし、わかってる。今のサンソンはあのサンソンじゃないし、あのサンソンは救われたサンソンなんだって」
「……はい」
「ただね、それを言いつつ矛盾しているかもしれないんだけれど、ちょっとの間だけ、ぎゅってしてほしいなって」
立香はサンソンを見上げつつ言う。その瞳には、すこしの寂しさがにじんでいて、サンソンはベッドの端に腰かけ、そのまま立香を抱きしめた。
「ごめんね。でも、ちょっとだけ寂しくて。ここに今のサンソンがいるってことを理解したくて」
「わかります。僕も夢の中でもリツカがいなくなってしまったらと思ったら、きっと同じようになってしまいますから。自分勝手で申し訳ありません」
そんなことを言いつつサンソンは腕の力を強めたのだった。
72、甘いレモン
「これで、出来上がり!」
はちみつレモン。風邪も流行り始めるようになった少し寒い季節の始まり。立香は厨房でレモンを輪切りにし、瓶にはちみつと一緒に詰めて寝かせていたのだった。
「やあ、マスター。何かできたのかな?」
「おはよう、アレキサンダーにギル君!レモンのはちみつ漬けができたんだよ!」
赤い髪の毛と黄色い髪の毛が厨房からも見える。その他にも何人か小さな影が近づいてきているので、せっかくだからと漬かったそれを取り出して、カップに入れる。そのままはちみつも少量スプーンで取り出してティーバックを入れてお湯を注ぐと、はちみつレモンティーが完成した。
「はい、どうぞ」
「あら、これは……素敵な紅茶ね!」
「これ、レモンティー?」
「うん、レモンティーだけど、はちみつに漬けたレモンだからちょっと甘いレモンだよ」
「そうなんだ」
厨房に入ってこようとしていた子供サーヴァントの先頭にいたナーサリーちゃんとジャックちゃんにカップを手渡す。二人は笑顔を見せながら食堂へともどっていったが、その食堂から大きな影がやってくるのが見え、立香はその主に声をかけるのだった。
「サンソン、おはよう!」
「おはようございます、マスター。厨房にいるとは珍しいですね。何を作っていたのでしょう?」
「レモンのはちみつ漬けだよ。一日漬けていたんだけど、サンソンも食べる?」
「いいのですか?」
「勿論」
立香は一度締めた蓋を開け、レモンとはちみつを皿に乗せる。そして、それを渡そうとしたところで、あることを思い出してにやりとしつつサンソンへ目を向けた。
「ねえ、サンソン」
「どうしました?」
「サンソンは、ファーストキスはレモンの味って知ってる?」
「えっと……?」
話が分からないとサンソンは首をかしげる。この二人は付き合ってはいるものの、いまだに手をつないではいないし、抱きしめることもめったになく、それ以上は勿論の仲であった。
立香はサンソンの反応を面白がりながら、皿からレモンを一枚取り上げて口に含む。そのままサンソンに近づいて皿を手渡すと、勢いのままに口づけた。
「んっ……」
「ふへへ、奪っちゃった!」
「リツカ」
「どうだった?私のファーストキスの味は?」
いたずらぽく立香はサンソンを見上げる。サンソンは少し照れたようにほほを赤くしつつも、不満であるというような表情を浮かべた。
「まったく、リツカは初めてなことが多いのですから、少しは大切にしようと思っていたのに」
「ありゃ、そう、だったの」
「ええ。でも、こうやって誘ってくるってことは遠慮はいらないのですね」
リツカのファストキスの味は、とても甘いレモンの味でしたが、それよりももっと甘くなることをしてあげましょう。サンソンは不満げな顔から、怪しく口角をあげ、お皿をシンクに置くと、立香を抱きしめて顔を寄せたのだった。
73,チョコを一緒に
「これでよし」
焼き上がったチョコレートを一つ口に含んで出来上がりを確かめる。常温でも溶けないと言われて作ってみたチョコは、砕いて粉状になったクッキーも入っていることで、サクサクとした食感であった。
「サンソン、今こっちにいる?」
「ええ、マスター。どうされました?」
用意した手頃な箱に詰めて後片付けをしたあと、立香は自身の部屋へ向かう。いつも警護を頼み、ほとんどの時間を一緒にいることから、彼の私物のいくつかは立香の部屋へ置かれており、彼自身も彼女の部屋にいることが多かったのだった。
「よかった、いたんだ。はい、これ」
「これは、チョコレートでしょうか」
「うん、焼きチョコっていうんだっけ?作ってみたんだ。バレンタインは凝ったものをあげられなかったからね」
「そんなことは」
受け取った箱をそのままに、そう続けるサンソンの言葉を制して立香は続けた。
「そんなこともあるから、今日作ってもう一回渡したいって思って。それからよかったら一緒に食べたいなって思ったんだけど、ダメ?」
「いえ、そうですね。食べましょうか」
「やった!そうしたらお茶もいるよね。一緒に取りに行こう?」
王妃ほどに拘ることは出来ないまでも、少し良さそうな茶葉を立香は選び、サンソンはブラックコーヒーを。それぞれが選び、再び部屋に戻ると、小さなテーブルと椅子を出して、即席のお茶会を調える。
「これでオッケーだね」
「ええ。早速食べましょうか」
お皿も準備しましたが使いますか、と問うサンソンに立香は首を大きく縦に振る。せっかく準備したのだったら使いたいし、見映えを善くしたいものだ。サンソンが早速と取り出したお皿に立香は一つずつチョコレートを並べていったのだった。
74、マドモアゼル
「こちらですよ、レディ」
「ありがとう、ベディヴィエール」
二股に分かれたカルデアの廊下。立香はあまり来ないこの場所にどちらを選べば自室に向かえるかと考え、見事に間違えた方を選んだ。そして偶然一緒にいたベディヴィエールに帰り道を教えてもらっていたのだった。
「と、こんなことがあってね」
「リツカもカルデア内で迷うことがあるのですね」
「それは、あまりいったことのない場所だったらね」
サンソンだったらもしかしたら迷わないのかもしれないけどさ。そう立香は言いながら、ベッドの上でジタバタと手足を動かす。今はベディヴィエールに案内されて、自身の部屋へと戻ったところ。部屋で待っていたサンソンに、なんとなく起きたことを話しつつ、ふと疑問に思ったことを口にした。
「そういえば、円卓の人たちは私のことをレディって呼ぶことあるけど、サンソンは私のことを、そんな感じで呼ぶとしたら、どう呼ぶの?」
「よくある呼び方としてはマドモアゼルですが、最近はその呼び方もあまりしなくなったようですね」
「男女平等とか、英語で言うとミズって呼ぶみたいな感じかな?でも」
「少し呼ばれてみたいかも、ですか?」
「うん!」
それは困りましたね、そう言いつつもどこか楽しげにサンソンは目を細める。
「それは困りましたね。こんなに可愛らしいマドモアゼルに言われてしまっては。こう呼ぶしかないでしょう」
「え、えっと」
「どうされました?思ったよりも恥ずかしかったりしました?」
「わ、分かってるなら言わないでよ」
「申し訳ありません。ですが」
可愛らしいというのは本当のことですよ?その言葉に立香は顔を真っ赤にしたのだった。
75、運命の恋だったら
「あの人かっこよくない?」
「えー、ないない」
「私はあの人がいいなって思う」
そんな声を聞いた放課後。かばんを持ち上げて、教室から外で活動しているサッカー部を見て噂話をしている子たちを横目に、藤丸立香は家路へとついたのだった。
「昔はね、恋って何だろうとか、かっこいいってどういうことだかわからなかったんだよね」
「そうなのですか?」
「あ、ごめんね。こんな話を突然」
時刻は午後九時。日々の訓練を終えた立香は、後は布団に包まって眠るだけといった状態で、サンソンにこんな話をしていた。
「いえ、リツカのお話はいつも楽しいですよ。ただ、どうしてこんな話を?」
「ちょっと昔のこと……学生だった頃のことを思い出しちゃって。授業が終わった後、部活動っていう、クラスメイトと運動をしたり、文化的活動をしたりする時間があったんだけれど、それに参加しない人もいてね」
放課後の部活動をする人たちを眺めて、誰がかっこいいか、彼氏にしたいかを話す女子生徒たち。仲の良い友達もいたけれど、それでも恋というものがわからなくて、立香は話を振られる前に家に帰ったのだった。
「でも、今だったら少しわかるかもなと、思っちゃって」
「わかる、ですか?」
「別にいまの私たちの関係を秘密にしているわけじゃないけれど、人に積極的に話したりはしないでしょう?」
「ええ、そうですね」
「それでね、それを話したくなったりするんだよなって。自慢とはちょっと違うけど」
彼が私の恋人ですって。こんな人のこんなところが好きなんですって。そう、立香は少し赤くなりながら答える。サンソンはそんなところもかわいらしいなと思いながら、問いかける。
「それは、僕自身に話してもらうのではだめなのでしょうか?」
「それもいいけど」
「けど?」
「少し恥ずかしいし、本人に言うのと、他の人に話すのは違うじゃない?」
「そうなのですか?」
「うん」
立香は頷く。ただそれでもと口を開いた。
「シャルロが言ってほしいなら言うけど」
「ええ、是非」
サンソンはなるべくゆっくりと答える。立香はその言葉に、予想はしていたけれど目を丸くし、それから恥ずかしそうにはにかみながら口を開いたのだった。
76、膝枕
「チェック」
「ええ、そうですが、ここをこうして……チェックメイトですね」
「ウソ!」
目の前にあるキングに気を取られて、ポーンがクイーンに昇格するのを見過ごして。完全に詰められてしまった盤上を眺めて呆然とする。
「そうですね。この手まではよかったように感じますよ?」
追い詰められる五手ほど前の手を指摘される。自分では最後までうまく進められているように思えたけれど、そんなことはなかったのかと肩を落とした。
サンソンと立香がいるのはレクリエーションルーム。楽器やスポーツに使う道具が綺麗に並べられている中で、ボードゲームの箱にはいっていた賭けチェスで遊んでいたのだった。
「それで、サンソンが私にして欲しいことって?」
「ああ、そうでしたね。賭けていたんでしたよね」
「そうだよ、忘れてたの?」
「ええ、実は。こうやってリツカと過ごすのも楽しかったので」
「もう、そうやって言えば流されると思って」
「本心ですよ?」
ついつい赤くなってしまう頬をそのままに。立香はフイと横を向く。サンソンはそんな立香に声をかけた。
「リツカに望んでいること、でしたよね。でしたら、マスターの部屋に移動しても?そこでお話ししましょう」
分かったと言う立香とサンソンは一緒に部屋へと戻り、扉がしまった瞬間にサンソンは施錠をして、リツカが入ってすぐ座ったベッドのとなりに座るのだった。
「サンソン?」
「突然申し訳ありません。ですが、他の者にみられるのはと思いまして。」
「そんなに変なことなの?」
「僕の望んでいることですが、リツカに膝枕をしたいなと思いまして」
「私がじゃなくて、私に?」
「ええ、ただ膝枕ではなくてもいいのですが、何かゆっくりと近くにいることが出来るものをと思いまして」
「それで膝枕」
「申し訳ありません」
生真面目な彼のちょっとしたお願いに笑ってしまいそうになりながら、倒れかかり、彼の膝の上に頭をのせる。鍛えられている男の人の膝だからやっぱり固いなと思いながら、サンソンに目を移すと、一瞬目を丸くしたあとに慌てるように「マスター?」と声をかけてきた。
「どうしたの?シャルルが望んだんでしょ?」
「ええ、そうですが、まさか叶えてくれるとは」
「よっぽど無理なことじゃなければ、サンソン以外にも、大抵のことは叶えてあげたいと思ってるけどね?」
「貴女はそういう方でしたね」
落ち着いたのか、サンソンに頭をそのまま撫でられる。立香はくすぐったそうにしつつも、おとなしく撫でられており、それは彼女が眠るまで続けられるのであった。
77、膝枕2
「んぅ……ふっ、はは、ま、マスター。これ以上は、くすぐったくて」
「これってイチャイチャには入らないよね」
「判定としては、そう、みたいですね……ふふっ、なんで続けるんですか!」
「時間的な判定かなって思ったから」
いちゃいちゃしないと出られない部屋、と出入り口に張られたピンクな部屋に閉じ込められたサンソンと立香。外部に連絡を取ることはできなかったが、何故か使えた検索エンジンから「いちゃいちゃとは」と検索をし、端から試してみるもなにも反応せず。触れる面積が少ないんじゃないか、時間が短いんじゃないか、など考えるも全てがダメで。いい加減疲れてきたと、休憩を取ることとなったのだった。
「ちょっとつかれちゃったね」
「ええ。ですが幸いこの部屋には飲食物があるようですし、ゆっくり休んでも問題ないかと」
「そうだね。これを機会にちょっと休んでもいいかもね」
いつもだったらこの時間は何をしているかと考えそうになり、今は出られないんだからと頭を切り替える。
せっかく二人きりで、いちゃいちゃしないといけない部屋に入れられてしまったのだからと、ふと思い付いたことを立香は試してみることにした。
「ねえ、サンソン」
「どうされました?」
「まだこの部屋に入って試してないことってあるよね?」
「そうでしょうか?」
「うん。前にサンソンがしてくれたこと。覚えてる?」
膝を寄せて軽く叩きつつ、立香は答える。それで合点がいったのか、サンソンは仕方がないと、立香の膝を枕代わりに寝転がる姿勢を取った。
「どう?サンソンよりは鍛えてないから柔らかい自信はあるけど」
「マスター、セクハラですか?」
「そういうところもあるけど、そうじゃなくて。このまま寝られそうかなって思って」
「僕が寝てしまっては、本当にしばらく出られなくなりますが」
「それもいいかもって思ってるけど、ダメ?」
「リツカがそれで休めるのであれば、僕はいいのですが」
「それだったらオッケーだね」
この間は私が休ませてもらったから、今度はサンソンが。立香はそういいながら、サンソンの頭を撫でるのであった。
78、お弁当
「大分うまくなったみたいね。鶏肉もお野菜も、ワインでしっかり煮込まれているね」
「ありがとう、ブーディカさん」
「ううん、ほとんどマスター一人で作ったじゃない。私なんか少しお手伝いしただけだし」
「それでも、だよ。……本当にこれで大丈夫だよね?」
「大丈夫。きっとマスターからその差し入れもらったら、感激するだろうなって思うわよ?」
「感激はしないと思うけど、行ってきます!」
「うんうん、いってらっしゃい」
笑顔で立香は送り出される。食堂から向かった場所は修練場。今日はライダークラスの敵がシミュレーターで出ているので、アサシンクラスのサーヴァントが戦闘を行っているはずであった。ちょうどお昼時だと立香が声をかけると何人かが集まってくる。
「なんだ?もう昼だったのか」
「うん、そうだよ。いつも訓練とか種火集めとかありがとうね、式ちゃん」
「たくっ、ちゃん付けで呼ぶのはやめてくれって。まあ、そういっていても仕方ないか。で、それはなんだ?愛妻弁当ってやつか?」
「ふ、普通のお弁当だよ?」
「どうせあいつにって持ってきたんだろ?呼んでもいいけどどうする?」
「自分で探すから大丈夫だけど、愛妻じゃないからね?」
「あーはいはい。分かってるからな」
これ以上は関わりたくないと、適当にあしらわれ、立香は頬を膨らませる。周りで聞こえていたアサシンたちは、揃って苦笑を浮かべて、マスターにサンソンのもとへと続く道を開けたのだった。
79,最後は
「私、サンソンにお願いがあるの」
「なんでしょう?」
「私が全部を終わらせたら、私を処刑してほしい」
「なぜ、とお伺いしても?」
お風呂上りにベッドの端に座り、後は寝るだけという状態で。藤丸立香は、己のサーヴァントであるサンソンへとそんな言葉を投げかけたのであった。
「本当に昔の話だけど、夢を共有したのを覚えている?」
「ええ。まだ貴女とお付き合いをする前に一緒に見た、あの夢ですね」
「そう。あの時言った『私がマスターである限り、サンソンはもう殺さない』その言葉を守るつもりだよ?ただ」
「ただ?」
立香はぎゅっと自身の手を握りしめてうつむく。心なしか肩が震えているように感じ、サンソンはシーツを彼女にかけた。
「私は、生きろって、立って戦えって、そう言われたから生きていられるだけなのかなって」
白い大地に飛ぶ赤。汎人類史ではない歴史を歩んだ世界で出会った、一人の生き物。幸福な世界があることを教えてしまった失敗を絶対に許さないと、そういった彼。彼、そしてほかにも出会ったものの言葉に動かされているのは事実だけれど。
「だけれど、私は、イヴァン雷帝の言った通り、異聞帯の人たちのことを無視し続けて、異聞帯を壊してきた。私は、大量殺人犯と変わらないじゃない」
「マスター」
「正直、押しつぶされそうなこともある。でも、今は生きなきゃいけないし、だからね?」
「……」
「最後が終わったら、本当に全部が終わったら私を」
「マスター。僕は、僕の勝手なことですが、あなたには生きていて欲しいと思います。あなたは客観的に見れば確かに大量殺人を起こしているかもしれません。ですが、この世界ではまだ罪を犯しておりません」
「でも」
「僕は罪を犯していないものを処刑することはできません」
「……」
「酷なことかもしれない、押しつぶされかけることがあるかもしれない。逃げてもいい。ただ、僕はあなたに生きていて欲しいのです」
「絶望しても?」
「ええ。それで、最後まで生ききって、僕にあなたの生を教えてください。あなたのこの旅の最後を飾ることは無理だとしても、あなたの最後に会うことは、きっとできると思いますから。それぐらいの願いであれば、きっとかなえることができると思いますから」
「残酷だね。でも、私の最後には来てくれるんだ」
「約束したではありませんか。どうか死出の旅は、このサンソンにお任せください、って」
「そうだったね。ふふっ、懐かしいや」
「ええ、そうですね」
この旅の最後を飾ってもらえないのは悲しいけれど、でも最後に会ってくれるなら。立香は悲しそうに笑みを浮かべつつも、もう寝るねとベッドに入り込む。サンソンはベッドから出て、自分に背を向けている形の頭をそっとなでるのであった。
80,祈り
「貴方が正しい道を歩む限り、僕は常に従いますとも」
いつかそんなことを自分が言っていたことをサンソンは思い出す。彼女はサンソンから見る限り、常に正しい道を進んでいた。人理修復を行うためにそれを阻むものと敵対することはあれど、人を慈しみ、平和を喜び、仲間とともに幸福なひと時を過ごす。無理をしているのを知ってはいるが、彼女は常に笑顔を絶やさないように、強い心を持ち続けようとしているのであった。そんな彼女がつい本音を口に出すのは。
「……ん、お、かあさ。や、だよ。おにちゃ……」
寝息が乱れたことから、目を覚ましたのかと顔を覗き込む。しかし、彼女は起きておらず、相変わらず、見る人が見たら能天気にも見える寝顔をのぞかせる。医務室独特の薬品の香りの漂う中、サンソンは立香の目元に触れ、ため息を漏らす。シミュレータを起動している最中に傷を負ってしまった彼女は、意識不明のまま医務室に運び込まれており、その時にたまたま勤務していたサンソンが診ることとなったのだった。ただ幸い、意識不明といってもそこまでひどいけがではなく、敵からの一撃を避けた後に、無理をしていたのか寝不足で倒れたというのが、サンソンの見立てであり、その証拠ともとれるように、彼女の眼の下には大きな隈と、右手が鉛筆の黒で汚れていた。
「マスター、あまり無理はしないで下さいと僕は言ったのですが」
聞こえていなかったようですねと、サンソンは一人呟く。サンソンとしては、立香にできる限り無理はしてほしくないと思っていた。一般人である彼女がおそらく世界を救うことになるのだろうけれど、それでも英雄などではなく一般人であってほしかった。
「戦いも何もかも、あなたはそれらから逃げることはできないでしょうし、自ら目にしようとする。それは美徳でもありますが、欠点でもありますよ」
耐えられればいいという話ではなく、壊れなければいいという話でもなく。彼女が彼女であり続けてほしいという願いを持ちながら、彼女の目が覚めるまで、サンソンは彼女の手を握って、彼女へと祈りをささげていたのだった。
