君が見てくれたから
「おかえりなさい、リツカ」
「ただいま!ってサンソンは何を読んでるの?」
「こちらを」
自分にあてがわれた部屋へと帰ると何やら読んでいたサンソン。渡されたのは一冊の学園物の少女漫画。カルデアに来るときに持ってきていた本のうちの一冊で、マシュにも他の人たちにも好きに読んでいいよと言ってあるものであり、印象深い作品だったことを覚えているものであった。
「それ懐かしいね。でも、主人公の女の子がすごく男前で、少女漫画っぽくなかった気がしたような」
「少女漫画がどういったものかはあまりよくわかっていないのですが、確かに他にあった漫画と比べて、女性の方が積極的だなと思って、気になってしまいまして」
「それは、わかる」
共学の学校を舞台にしたその漫画は、主人公の女の子がすごく強気で快活で、次々にクラスメイトを巻き込みながら、勉強に、恋愛に……と、充実している物語である。三角関係ぐらいであったらまだかわいいもので、クラス全員に好かれて告白も何回も受けるという女の子であった。
「たぶん他のものと毛色が違ったからかな。気になって持ってきてたのかも」
「そうなのですね。僕はこれを読んで、この主人公がリツカに少しだけ似ているなと思いましたが」
「え、私?」
「ええ、強気なところがあるかどうかは置いておきますが、明るく前向きで、みんなを巻き込むようなところ、それから自己犠牲心が実は強かったり、隠れて涙を流すようなところも」
「え、ええっと」
サンソンに手渡された巻数をもう一度見る。主人公が体育館裏で泣いていたシーンのことを指しているんだろうけれど、そのシーンがある場面は別の巻だったのではないかと確かめる。
自己犠牲心が強い自覚はないけれど、最初のころにつらくて涙を流してしまっていたところなどはサンソンに見られてしまっていたので、恥ずかしく思いながらも否定できずに、手に持ったそれを返した。
「私、そんなに似ているかな?」
「ええ。欠けている巻は図書館の電子記録で読ませていただきましたが、主人公が最終的に選ぶ相手含めても似ていると思いましたよ」
主人公が最終的に選ぶ相手を思い出して、顔を赤くする。主人公は先ほども言った通りにクラスメイトみんなに好かれていて、告白もたくさん受けていた。サッカー部のエースの人、ちょっと天邪鬼な不良ぶっている男の子、主人公のファンクラブを秘かに作っていた優等生のクラス委員の女の子。けれど最後に選んだのは。
「保健委員のさえない男の子、だっけ?」
「ええ」
ちょっとだけ天然で、からかわれるとすぐにかわいらしく怒り出す男の子。あまり目立たないけれど、主人公が泣いていたらそれを隠すように動いてくれたり、ちょっとしたことにも気づいてくれる優しい男の子。うわべだけでなくて、中身まで見てくれる、そして気づいてくれるのは、彼が人をしっかりと見ているからで。
「僕は、こんな僕を見てくれたリツカのことが好きなんですよ」
「それは、サ……君が見てくれたから、私のことをちゃんと見て、気づいてくれたからでしょ?」
最後の告白のシーンをなぞって言うサンソンに、お返しとばかりに台詞を返す。この先も同じ台詞が続くけれど、これは本心で。
「君が見てくれたから、君が気付いて、優しさをくれたから。私だって……君のことが好き、なんだよ!」
「ふふ、わかっていますよ」
物語は幕を閉じ、私はそのまま抱きしめられて、戯れにとベッドに寝転がされる。
「漫画でこんなシーンなかったけどな。そもそも告白は屋上だったわけだし」
と呟くと、目の前で優しい笑顔を浮かべたサンソンがすり寄ってくる。
「あれは物語で、これは僕たちが紡いている現実でしょう」 そのまま口づけを落とされるのであった。
片恋
最初はいつからだっただろう。召喚したときからか。それとも治療を受けているときか。はたまた終局特異点で共に戦ったときか。私はシャルル=アンリ・サンソンという英霊に恋をしていたのだった。
「最初に恋があった……か」
図書館の中でふとため息をつく。最初に恋があったからこそ、今の英霊、シャルル=アンリ・サンソンは生まれることとなった。
恋があったからこそ彼は生まれ、そして愛があったからこそ、彼は亡くなるまで自分の奥さんと過ごすことが出来たのだった。
そんな彼に今恋をしている自分。そして二度目の生を受け入れて、私に愛を囁いてくれる彼に、嬉しさと共に、愛情と共に、申し訳ない気持ちが浮かんでいたのだった。
英霊召喚システムで座に登録された英霊を呼び出すことに否定はない。それに、得られた二度目の人生をここにいる限りは楽しんでほしいと思う。けれど。
「恋して、愛して、それを返してくれても、足りなくて」
いくら得ても、生前彼が注いだ愛には叶わない、私に注がれる愛は別物だ。そう思ってしまったりすることもある。
ため息をもう一度つき、シャルル=アンリ・サンソンについて書かれた本を棚に戻して歩きだそうとし、いつの間にかすぐ横まで来て人物にぶつかりそうになる。
「きゃっ」
「すいません、マスター」
「こっちこそごめんね、サンソン」
そばに来ていたのが彼だったことも含めて二重の意味で驚きの声をあげてしまう。
「もしかして、……今の話、聞いていた?」
「今の話、とは?」
とても恥ずかしい告白をしていた気がしていたので。よかった、聞いていなかったとほっとしたところで、伺うように抱きしめられる。
「恋して、愛してってところでしょうか?」
「聴いてたんじゃん」
「すいません。ですが、いつもの僕では足りなかったでしょうか?」
抱きしめたまま首をかしげる彼に、「足りなくないけど、もっとほしい」という言葉以外は言えなくなってしまったのであった。
魅惑
「ぎゅ~~、ってこれでいいかな?」
「もっと情熱的に。そうね、相手を食べるように、よ?」
「えっと、食べる?」
「そう。でも比喩だから『食べちゃうぞ?』とか言わないようにね?それだとギャグになっちゃうから」
「うう、難しいね?」
いつもサンソンに振り回されてばかりだから、たまにはサンソンにも夢中になってもらいたい。そう言った私に「マスターが分かっていないだけで、彼はもうマスターに夢中なのでは?」という声は多く、協力してくれる人は少なかった。けれど目の前にいたメイヴちゃんは協力をしてくれたのだった。
「これで難しいって言われても。マスターって誰かに恋をしたことは?」
「サンソン以外は無いよ?」
「まあ、予想通りね」
これはなかなか難しいけど、まあ、なんとかなるんじゃないかしら。唸るようにしていたメイヴちゃんに、無理難題を押し付けてしまったかと思いつつ、とりあえず教えてもらった方法を試しにいきたいと声に出した。
部屋の扉がノックされる。医療班の業務日誌を書きながらモニターを見て、解錠キーを押した。迎えるために辺りを片付けつつ、入っても大丈夫ですよと、扉越しに声をかけると、緊張した面持ちでマスターが入ってきた。
「マスター、どうされました?」
「えっと、その、」
「先ほどまでメイヴと一緒にいたようですが」
「ぐっ、なんで知ってるの?」
「さて、どうしてでしょう」
簡単なこと。いつもは食堂か自室にいるマスターがいなかったので探していると、見つけた空き部屋。そこで熱くマスターと抱擁を交わすメイヴ。
マスターは「ぎゅ~~」とかわいらしい声をあげていたけれど、メイヴの目は挑発的に細められていたのだった。
「もしかして、見てた?」
「ええ」
マスターがどうしてそのような行動をとっていたのかは分からないけれど、それを聞くために続きを促す。促しつつも書類をまとめ、紅茶を淹れるために立ち上がろうとしたところに、ちょっと待ってと声をかけられ、次の瞬間には、立香にぎゅっと抱きしめられていた。
「……リツカ?」
「えっと、その、ぎゅ~~、ってしたらいいって。メイヴちゃんに教えてもらってて。どう、かな?」
「それは」
立香の心臓の音がはっきりと聞こえるぐらい近くに、胸に埋められるように引き寄せられる。少し早いその音に安心しつつも、思いを口にのせていた。
「僕としては、その嫌いではないですが、僕以外にそう言ったことをするのは」
「あ、ご、ごめん」
「いいんです。でも次からはしないでくださいね?」
「うん、わかった」 跳ねる心臓の音は心地よく。そのまま胸に顔を埋める。くすぐったそうに動いた立香はそのまま髪の毛をなで始めたのだった。
王子様はどっち?
「今日はどれにしようかな?」
パサついていると感じたらしっとり目に仕上がるものを。たまには薔薇の香りのするものもいいかと思い、王妃にもらったそれを手へと落として、髪へ広げる。
サンソンが部屋に来る前にあともう少し。机に置いてあった飲みかけの紅茶を流しへと持っていき、分別してから洗い流した。
「マスター、よろしいでしょうか?」
「ちょっと待ってね?」
「はい」
ノックの音に続く声。解錠キーを教えているのに一旦聞いてくれるその声に感謝しつつ、扉を開ける。
「待たせてごめんね。どうぞ」
「マスター、その格好は?」
「これ?かっこいいでしょ?」
ハロウィン・ロイヤリティ。青と白を基調とした、王子様をイメージしたであろう衣装。頭に乗った王冠はイメージされる王子様そのものの王冠であった。
「ええ、とてもお似合いですよ?」
「やったぁ!」
「ですが、かっこいいだけではないですね」
この薔薇の香りは、先日マリーがつけていたものと同じですね?そう髪の毛を掬われて、口付けられる。その姿が、王子様ではないけれど、それと同じぐらい格好よくて。
「おっと。マスター?」
「はわわ、ごめん」 足から力が抜けてへたりこんでしまうのだった。
お姫様はガラスの靴を捨てて運命の人を迎えに行くのです
「私、昔は白馬に乗った王子様に迎えに来てほしいとか思ったこともあったんだ」
「王子様、ですか?」
シンデレラなエリザベートの最後を見た後、無事に特異点から帰還した立香とサンソンは、サンソンの部屋のベッドにいつも通りに二人で座って語り合う。立香は自分の被っていた王冠を取り外して眺めつつ、なんとなしに口を開いていた。
「うん。よくある妄想みたいなものだけどシンデレラってあるでしょ?」
「ええ、ありますね。王子様がシンデレラを靴から探すものでしたよね」
「そうそう。太陽の輝きみたいな金髪に、湖みたいな青色の瞳が綺麗な王子様って、そこじゃなくて」
「リツカの前で卑下するつもりはありませんが、僕はそんな見た目でも、立場でもありませんよ?」
「わかってるって。サンソンをそんな目で見たことないし、逆に王様たちをそんな目で見たことだってないってば」
二人で微笑みあう。そんなことを分かっているのは当然で。恋人同士の二人は互いを横目で見た後に、くっつくように互いに体を預けた。
「今までいろんな王様とか王妃様に会ってきたけど、なかなか恋愛的な意味で好きになるのって大変だなって思ったよ」
マリーちゃんとか、他にも、私みたいな一般人には絶対に届かない相手の苦労も見てきて、絶対に私はシンデレラになれないし、なったとしても、あそこまでの努力はできない。一般人として、生きるしかできないから。立香はそう続ける。
「僕はリツカの、そうやって自分の限界を理解したり、相手を見ることができるところも、好ましいと思っておりますよ」
「えへへ、そうかな。でも私、結構現金な人間だし、思慮深くなんかないよ?」
「そうでしょうか?少なくとも僕にはそう見えません」
体勢を直し、向き合うようになる。サンソンは立香を見つめつつ首をかしげるが、そこに立香が持っていた王冠が乗せられる。
「リツカ?」
「だって、サンソンのことが本当に好きだし、サンソンのことを優先して一番に考えちゃうし、それに、もしシンデレラになれたとしても……運命の人、サンソンがいるんだったら、ガラスの靴の片割れをたたき割って、サンソンを迎えに行っちゃうもん」
恥ずかしそうに一度目をそらしてから、立香はそう答える。確かに王子様と釣り合うためには努力も学も必要なことは多い。けれどそれを以てしても、人生を選べるとしたら王子様を選ぶ方が良いに決まっている。それなのに自分を選ぼうと真っすぐにこちらを見て言ってくれるだなんて。サンソンはうれしさから緩む口元を押さえた。
「それは……反則ではないでしょうか?」
「そうでしょ?でも、私は自分で自分の運命の相手を決めたいし、白馬に乗った王子様の相手なんて、柄じゃないからね」 私の運命の王子様は自分で決めたいの。そう言いつつ微笑む立香の手を、気を取り直して取る。そうして、サンソンはこれ以上立香が話さないようにと唇をふさぐのであった。
二人きりで撮りたかったから
「サンソン、ちょっとこっちに来てもらってもいい?」
「ええ、いいですよ」
夜、サンソンが立香の部屋に訪れ、たわいもない話をしながらカモミールティーを用意する。もう少しでお茶が出来上がるという時にかけられた声。いつもであったのならば、そのまま用意したお茶を持って立香のもとへと向かうのであったが、その前にかかった声に手を止めて、そのまま彼女のもとへと向かった。
「どうされました、リツカ?」
「お茶用意してもらってるのにごめんね。ちょっとこっちに座って、私と反対の向きでポーズをとってほしいんだけど」
少し横を向いて、ちょうど胸のあたりで何かを押すようなしぐさをする立香に、首をかしげながら、サンソンは立香の言うとおりにする。それでいいよと立香は言いながら、サンソンの方を向き、手を合わせるようにして、頬をくっつけた。
「リツカ?」
ぴぴっと言う音のすぐ後に、パシャリとシャッターの音が聞こえる。サンソンは立香に頬をくっつけられ、手を触れた拍子に驚いて片目をつむってしまったけれど、立香はいたずらが成功したかのように笑顔で手を離し、手元にあったタブレットを見ていた。そこには驚いたけれどどこか恥ずかしそうにしているカメラ目線のサンソンの姿と、サンソンの方を笑みを浮かべて見ながら頬を合わせている立香の姿が映っていた。
「リツカ、これは」
「急にごめんね。でも、自然な表情が撮りたくて」
ここ数日、もしかしたら消さなきゃいけないかもしれないけれど写真を記念として残しておけたらうれしいなと、立香がサーヴァント達と一緒に写真を撮っていた。それを見ていたので、いつか自分の元にも来るだろうと思っていた。それに実際、お昼ごろに医務室にいたときに医療班全員で集まっての記念写真を撮っていたのだが。
「言ってくだされば、仕事をしているときの写真でも撮ってよかったのですよ?」
「それもいいけど」
「ええ」
「自然な表所を撮りたいだけじゃなくて、これは個人的になんだけど、二人っきりの写真も撮りたいなって思っちゃって」
ダメだったかな?と、首を傾けながら聞く立香がかわいらしく。
「それは、仕方がないですね。ただ、記念写真を撮るのでしたら、二人で撮ったり、僕の写真だけを撮るのではなく、リツカのことも撮らせてくださいね?」
サンソンは突然撮られたにも関わらず、そのまま二人だけの写真撮影会を続けるのだった。
抑制
「リツカ、今日は」
「ごめんね、今日はちょっと一人で考えたいことがあって」
これで断られるのが何度目なのかとサンソンは考える。終局特異点を超えて、一般人に戻るはずだった藤丸立香。最後は彼女に別れを直接告げられないまでも、紫苑の花を介して言葉を伝えたはずだった。それが再びただ一人のマスターとして、異聞帯攻略をすることとなり、世界を切り捨て、突き進んだ。そうして突き進むたびに身も心も傷つき、それを塞ぐように他者に傷ついたことを隠すようになり、それに慣れて。
恋人としても、サーヴァントとしても、彼女の様子を診るものとしても。心配で仕方がないと思いつつ、彼女に寄り添おうとすると断られる。そんな日々が続いていた。
「少々、いいでしょうか?」
「ええ、向かいの席にどうぞ。それで、どうされました?」
人でにぎわう食堂にて。珍しく、いつも一緒に食事をしていたロビンもおらず、一人で食事をとっていたサンソンに声をかけたのは、山盛りの料理をお盆に乗せたキャスターのアルトリア。六つ目の異聞帯を攻略してすぐにプリテンダーやバーサーカーと共に召喚されて、修行中のはずのサーヴァントであった。
「ありがとうございます。食事をとりながら話す話題ではないかもしれませんが、いいですか?」
「ええ。ただ、医務室の勤務時間もあるのであまり時間が取れないかもしれませんが」
「わかりました。では単刀直入に。貴方はリツカの恋人でしょうか?」
「……、ええ。そうですね」
恋人として支えることが今はできていないけれど、と脳内で付け足す。立香の性質が変わっていったのは、初めての異聞帯を攻略した時からだったと思う。その時は簡易召喚として戦闘にしか関われない状態で、彷徨海にたどり着いてようやく常時現界できるようになったところであり、その時にはもう今のような状態になっていたのであった。
アルトリア・キャスターはサンソンのことを見てふむふむと頷くと、口を開く。
「今のリツカの状態を貴方はどう見ますか?」
「医者の僕から見たら、自分の殻に閉じ籠ってしまっていて危険な状態かと。ただ、アルトリア、君は僕に恋人としての回答を求めているね?」
「ええ」
「そうでしても、変わりなく。それがわかっていても、僕には強引に彼女を引き留めることも」
「あまりこれを伝えるのはどうかと思いますが、私は今のリツカしか知りません。でも、今のリツカが求めているものは分かります」
妖精眼のせいで見たくないものまで見えてしまっていますがね。苦い顔をしながら言葉を付け足していく。
「私やオベロンには妖精眼があるのは知っていますね」
「ええ」
「私が召喚されてすぐは、この妖精眼のせいでリツカの考えていることもある程度は視えていました。ただ、最近は視えなくなってきているのです。それをオベロンにも確認したのですが、同じみたいで」
「偽らざる気持ちですら見えないように、リツカは」
「ええ、自分の殻に閉じこもっているか、それとも感情の発露の仕方を忘れていっている。感情がなくなっている」
「……」
予想よりも深い問題になっている。平気な振りをして笑顔を浮かべたまま夏を過ごしていた立香が夜毎に寝ずに過ごしていたことを思い出す。寝られていないから眠剤を。傷ができたから治療を。まだ少しだけ心を開いていた時に言われていた言葉。その時に余計に時間を取っていたら、今このようなことには。後悔を胸の内だけで抱えつつも、目の前に残っている食事を平らげて、アルトリアにお礼の言葉をかける。アルトリア・キャスターは、サンソンが顔色を変えているのを見て、そのまま立ち上がって食堂を後にするのを見て、ほっとしたように口元を緩めた。
「そろそろ出てきたらどうですか?」
「……別に、隠れていたとかそういうわけじゃないからな?」
「そうでしょうか。それにしては私たちを気にして見えない位置にいましたが。と、そうではないですね。私にも貴方にも千里眼はないですが、これで大丈夫でしょう」
「本当に、たくましくなったよな。『私たちにも視えなくなってきている』なんて嘘をついて」
「視えなくなっていたのは本当でしょう?ずっと『私が幸せを享受してもいいのかな』とか『助けて』とか『もう痛いのは嫌だ』とか。ポジティブな感情がほとんど見えなくなっていたじゃないですか」
「もともとだけれど、本当に気持ち悪かったよ。外見だけ整えて、中はぐちゃぐちゃの、魔獣が吠えているような状態だったからな」
落ちて、落ちて、落ちて。どこまでも暗闇の中を落ちていく感覚がある。ここは奈落か地の底まで続く道か。目を開いた立香の瞳には赤が鮮やかに広がっていた。
ふわふわの毛並みに滴らせた赤。俺は、テメェを、絶対に許さない。俺に幸福な世界があることを教えてしまった失敗を、絶対に許さない。音は聞こえないけれど、そう口が動いているのを立香は理解する。
次に感じたのは音であった。音、違う。歌だ。歌、うた、ウタがキこエル。聞いてはいけない。それがわかっていたから耳を塞ぐ。けれどそれでも聞こえる。助けて、助けて。助けて……助けを求めても、イイノ?私が、助けなんか求めていいの?立香の思考は揺らぐ。
最後に立香が見たのは、ごく最近の記憶。失意の庭と呼ばれるもの。必要とされない自分。消耗品。そんな自分はすでに、普通の過ごし方を忘れている。どう生きればいい?どう戻ればいい?戻れるだけじゃなくて戻っていいの?普通に生きる方法もワカラなくなっている自分が戻れるの?あの時は何とか立ち上がれたけれど、落ち続けている状態で、立ち上がることもできず、ふわふわとしたポニーテールの面影を感じることもできず、ただただ辛い考えが浮かび、そうして、落ちていく。
そこで目を覚ました。
「はっ、はぁ……」
精神が削れるような夢を見た。そう思いながら立香は起き上がる。明日の戦闘訓練の編成を考えながら寝てしまい、タブレットはベッド下に落ちてリツカ自身も半身をベッドからはみ出した状態で飛び起きた。時刻は午後十時。もう眠るにもいい時間だったため、もう一度寝てしまおうかと、ベッドの縁に座りながら医務室の棚からくすねた眠剤を探して手をサイドテーブルに伸ばした時に、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
「っ、サン、ソン?」
「リツカ、それは」
「えっと、眠剤。その、ごめんなさい」
医務室でもらうには限度があった。週に何度も通っても使いすぎたアンプルと同じく規定量以上はもらえず、目を盗んで勝手に持ち出すことしかできなかったのだ。
「それは出せないからと出さなかった僕にも責任がありますから」
「ううん、そんなことは……ただ、、ちょっと苦しいから離してもらえないかな?」
「……」
「サンソン?」
立香は苦しいといったけれど、苦しくはなかった。いや、苦しいは苦しいけれど物理的ではなく、精神的に。甘えてはいけない。あの夢に、今まで歩んできた道を考えて、甘えてはいけないのだと考えていた。そんな時に恋人であり、理解者であったサンソンに抱きしめられでもしたら。
毒だ。感情があふれそうになり、それを見せたくなくて、混乱したまま冷静を装って振りほどこうとする。しかし、サンソンは腕に力を入れて抱きしめ続ける。
「はな、して……サンソン」
「すいません。ただ、今離したらリツカは逃げるでしょう?」
確信を持った声と、そうしようとしていた自分に反論ができなくなり、力を抜く。
「ありがとうございます。ただ、申し訳ありません。しばらくこのままで話を聞いてほしい」
「……」
「僕は、リツカの恋人としては足りないところがあるでしょうか?」
「……」
「おそらく、僕は間違えているのですよね。こうやって今、リツカを抱きしめて無理やり話をする状況になっているということは」
「……」
「ただ、それでも、医者としても恋人としても。頼ってほしい、そう思ってしまうのはいけないことでしょうか?」
「それは」
いけないことではない。
頼ってほしい、手を繋いでほしい、認めてほしい。いつだったか、立香が思っていたこと。サンソンと出会ってすぐ。召喚時に握手を拒まれた理由推しりたくて、彼を他のサーヴァントと同様に理解したいと思って調べたとき。夢を共有して、もう一人のサンソンに見定めるという言葉をもらったとき。セイレムで一人行動をしていたとき。
サンソンのそれを否定することは立香にはできない。そうして、立香もサンソンのあの時の行動を理解する。ただ、それでも心の中に残るわだかまりに、今まで見捨ててきた人たちに、モノたちに苦しめられる。
「これをいけないことである、とは言わないのですね」
「……」
「僕は、頼ってほしいです。それに、リツカには幸せになってほしい。あの時に『貴女を忘れない』と決めていたけれど、それ以上にあなたには幸せになってほしいと思っています。僕の押し付けになってしまいますが、貴女には今までの分も幸せになってもらいたいと思っておりますし、貴女が許してくれるなら寄り添いたい。傷つく道しかないのであったら一緒に傷つきたい。共有をしてほしい。それで、一緒にいられる幸せを感じてほしい、そう、うぬぼれかもしれなませんが、思っています」
「サンソン。ううん、シャルロ」
いつぶりに名前を呼ぶだろう彼の名前を口に出す。サンソンの言う通り、押し付けと言ってしまえばそこまでだけれど、今をともに歩いてくれる、一緒にいてくれる存在を無下にすることもできず、サンソンのことを大切に思っている自分を見ないこともできず、彼に癒してほしいという思いを消すこともできず。会わずにいた分彼の言葉に心を動かされ、久しぶりに涙があふれる。
「しゃ、ルロ、ごめんなさい。わたし、しあわせになっていいの?いっしょにいてくれるの?」
「ええ、貴女は一人の人間なんですから、幸せになっていいんです。それに、僕は離れるつもりはありませんよ。貴女が拒んでも一緒にいますし、こうやって無理やりにでも話したいと思っておりますから」
「……、シャルロ」
「はい」
「私、ちゃんとするから、今だけわがまま言ってもいい?」
「ええ」 そうして立香が口にした言葉は、サンソンのみが知るところであった。
言いたいことを言えるように
「あの、えっと、サンソン」
「どうしました?」
「えっと、その」
「ええ」
食堂にて。アルトリア・キャスターの計らいによって、頼るということを、求めることを思い出した藤丸立香は、リハビリとしてサンソンと一緒に過ごす。近頃は特にマスターとしての姿しか見ていなかったサーヴァントたちは、サンソンに近づく立香の姿を見て、安堵の息を吐きながらどこかほほえましいものを見る様子で遠目から見ていた。
「えっとね、その」
「ええ」
「今日は一緒にいてほしいなって」
「ええ、眠るまで。いえ、一緒に寝てしまいましょうか」
お互いにしか聞こえないような小さな声で確認をとる。眠るまで一緒に過ごしたことは何度もあるが、共に眠ることはレイシフト以外では初めてで。最後に一緒の寝所に入ったことだって、クリスマス以来であった。
立香はクリスマスのことを思い出して頬を赤らめつつ、若干の期待の眼をサンソンに向ける。サンソンは、それは口に出さなくていいと、肯定をするように頷き返したのだった。
「リツカ、いいでしょうか」
「どうぞ。入って?」
先にと帰ると、ベッドの上で寝転がってジャンクフードを食べているオベロンや、ベッドの中にいるゴッホちゃん、下にいた清姫ちゃんから、天井裏に潜んでいた道満を追い返し、部屋を片付けていった。そうして一息ついたころに鳴る、入室希望のアラーム音。モニターを眺めると見えたサンソンの姿に慌てて扉を開ける。
「今日は夜間警護に選んでいただいてありがとうございます」
「ううん、こちらこそ来てもらってありがとう。それから、そんなにかしこまらないでいいよ?」
「ですが、立香の部屋は久しぶりだったもので。……今日は皆さんは帰られたのですね」
「うん。だって、サンソンが来るから」
お茶を用意するから待っていてと、ソファ代わりのベッドの近くに彼を案内しようとするも、取られる手に立香は振り向く。サンソンは取った立香の手を隅々まで眺めていた。
「リツカ、これは?」
「えっと、それは幻術ってやつですね……ごめんなさい」
まだ我慢する癖が出ていることにサンソンはため息をつく。前を行く立香の手がぶれたように見え、ふと気になったとって眺めると、何かの術がかかっているような痕跡を感じられ。それを尋ねると素直に答える立香。頼ることを思い出す、それから個人として甘えてもらうためのリハビリであったけれど、もう少し時間が必要なようだと長期戦を考えながら、口づけをその手に落とす。
「ひゃっ!」
「痛かったでしょうか?」
「ううん、大丈夫。だけど、術を解くね」 かけてもらう時は誰かに頼まないといけないけれど、解くときには自分で解くことができるから。そう言いながら術を解く。綺麗に見えた手はささくれや肌荒れが酷く、がさがさとしていた。サンソンは口づけを先ほど贈った手を、痛みがないようにと握り直し、観察をしてから治療を始めるのだった。
五月晴れ
ふにゃふにゃと、どこか幼くも見える顔で立香はサンソンに微笑みかける。立香はまだまどろみの中にいるようで、目を細めていやいやと布団をかぶりなおそうとする。そんな姿をほほえましいと思いつつ、昨日落とした下着をまとめてベッドの中にそっと入れ込み、自身は霊衣をまとって時刻を告げた。
「リツカ、いえ、マスター。起きてください。もう八時半ですよ」
「……うそ。起きなくちゃ」
早く起きて準備をしないと大切な後輩に無防備にも晒した姿を見られてしまう。そう、下着を着て、慌てて飛び上がる立香が落としていった髪留めを、サンソンは拾い上げる。きっと数秒後にはこちらに戻ってくるのだろうと思いつつ、その時を迎え入れるように準備する。 さて、そのままシャワールームに消えていき、数秒後に体中に散った後を見て悲鳴をあげつつ、顔を真っ赤にした立香が出てくる。サンソンは立香の礼装を準備して、彼女の髪を整えるための櫛も手に持っていたのだった。
寒い日には(現パロ)
「うぅ、寒い」
「よければ、こちらをどうぞ」
「あ、ありがとうサンソン。でも、見てるほうが寒いから、ちゃんと着てほしいな」
エアコンが壊れてしまい、安アパートということもあって、寒さが骨身にしみるように感じる。立香は早々に一つしかない布団に潜り込んで膝を抱えて座っていたけれど、それでも寒いのか、布団とブランケットを被ったままぶるぶると震えていた。
「うぅ……なんで、シャルロは寒くなさそうなの?」
寒くなさそうだと言われても。自分でもどうしてかわからないけれど、昔から寒さには強かったのだった。小学生の時は真冬に半そで半ズボンで外を駆け回っていたことを思い出す。その時の経験があるからか、日本の冬の寒さにすっかり慣れてしまっているのだろうと、立香に話した。
「そういえば、私は昔から寒いのが苦手で、冬は絶対に家から出なかったな」
「そうだったのですか」
「うん。おじいちゃんとかおばあちゃんがよく来てくれたから、家の中で折り紙を折ったり、家の中でできる昔の遊びを教えてくれたり、それから昔の話を聞いたり」
おじいちゃんとおばあちゃんも、昔はアパートに一緒に住んでいてたんだって。立香は布団から顔を出してサンソンの方を向く。
「こんな感じに寒かった日は、手を握ってくれたり、あったかいお茶を出してくれたりしたんだって。それでね、優しくされてるなって、すごくうれしかったって、おばあちゃんが言ってたんだよ」
体はカタカタと震えたままだったが、挑戦的ににやりとした顔をして。立香がこちらの方を向く。僕は立香の視線を受けて、そういうことかと微笑んで、キッチンへ向かうのだった。
「リツカ、お茶を出すよりこちらの方がいいかと思いまして」 「え、これって、ホットチョコ?ありがとう!」
