子供騙しはよして
「では、おやすみなさい」
「あの、えっと」
「何か?」
「う、ううん、なんでもない」
今日も誘えなかったと立香はこっそりため息をつく。サンソンと恋仲になってもう随分と経つけれど、未だにおでこへのキス止まりの関係が続いている。それはそれで安心はするけれど、物足りなかったり、サンソンがそれよりも先を求めてくれないことに不安を感じてしまっていたのだった。
「リツカ、何かありましたか?」
「え、えっと?」
「ここ最近ですが、あまり元気がないように思われまして。何か悩みごとでもあるのかと思いましたが」
「……」
悩みはある。けれど本人に言っていいものなのだろうかと口を小さく動かすだけ動かす。サンソンはそんな立香を、彼女が自分のペースで話すまでゆっくりと待つことにしていた。
「あ、あのね」
「ええ」
「仲良くなったスタッフさんのお話何んだけど」
立香はあくまで他の人の話しとして切り出す。恋人という関係になったものの、プラトニックな関係にしかなれなくて困っていること。どうしたらよりよい関係になれるのかということを悩んでいることを。つっかえながらたどたどしく。時には自分事であることを隠しきれずに。いかにも恋愛初心者なかわいらしい反応に、サンソンは笑みを浮かべてしまうのだった。
「……ってことなんだけれど、サンソンだったらどうする?」
「あまり他の方の事情に口を出す、そもそもそういった
ことを聞くのはよくないことだと思いますが」
「ごめんなさい」
「ええ。なのでそれは置いておきましょう。プラトニックな関係、でしたよね。その方は最終的にはもっと深い仲になることを望んでいる、と」
「うん」
サンソンは考えるふりをする。立香は目を輝かせて、サンソンの答えを待つ。
「僕が思うに、やはりそれは二人の問題なので、二人で解決をしないといけないかと」
「やっぱりそうなるよね」
「ええ。女性をお待たせしてしまうのも、女性から声をかけないことも、どちらも行動しないと分からない。
ここは、僕の反省点でもあります」
「サン、ソン?」
「リツカ、スタッフというのは嘘なのでしょう?」
「えっと」
「その反応、それ以前のことからでも分かりますよ?嘘はあまりよくないですが、お待たせしてしまったこともありますから、それで相殺とさせていただきましょう」
「うん」
「リツカは先に進めなかったことが不安なんですね?」
「……うん」
「そう、でしたか。僕としてはもう少し時間をかけた方がいいのかと思っておりましたが」 僕だってリツカとの恋愛は初めてなのですから。サンソンがそう言いながらも立香に近づく。立香はあまりの近さに飛び退きそうになりながらも、意図を察して、踏みとどまる。そうしてさらに近づいて。初めての口づけをおくられることとなったのだった。
未来の話
「マスターは、この戦いが終わったら、どんな人生を歩みたいと思っているのですか?」
人理修復を終え、空想樹もあと残るは一つとなり。先ほどまで召喚室でハベトロットやアルトリア・キャスター、オベロンなどの召喚を次々と行って疲弊したマスターをベッドで休ませる。サンソンは寝物語に語るべきことを探していたのだが、ふと、写真立てに飾られていた、恐らくは彼女がカルデアに来る前の写真を見つけてそう言ったのだった。
「この戦いが終わったら、か。考えたこと無かったけど、もし一般人として生きていけるならだけど、世界を旅したいな」
昔は、ただ勉強して、大学に入って、就職して、それでいつかは誰かと結婚して、子供達に囲まれて余生を過
ごすのが幸せなのかって思ってたけど。立香は昔を思い出して恥ずかしくなったのか、照れたように笑う。
「カルデアに来て、色々な英霊達に会って、生き方を見て。それで自分も生きる道を決めて生きたいって思ったんだ」
話しているうちに立香は疲れてしまったのか、だんだんと目が細まっていく。瞬きも遅く、本当に眠いのだと感じられた。
「それで、ね?」
「ええ」
「私、生きて何がしたいのかって考えたけど、浮かばなくて……でも、みんなの生きた世界を、みたくてね。見ようって、思ったんだ」
目を完全に閉じて。そうしたまま立香は微笑む。
「それで、最後は……フランスに、あなたの、生きていた場所を、みたい」
言葉は途中で途切れる。完全に寝てしまった立香にブランケットをかけたサンソンは、顔を覆う。
貴方の生きていた場所を見たい。立香はそう言った。その頃にはもう自分は退去して、案内するなんてことは出来ないだろうけれど。 耳まで熱のこもってしまった顔を冷ますように、顔を覆っていた手を開く。そうして立香を見ると、彼女が寝入る前に乱れてしまってた前髪を整える。それからそこに口づけを落としたのだった。
恥ずかしがりや
好きな人と目を合わす。恋愛初心者にはそれすら難しいと思ってしまうわけで。
藤丸立香は今日も今日とてサンソンが視界に入らないようにとそそくさと逃げる。先日想いを伝えあって、そうして結ばれたばかりの立香は、他の恋愛経験が豊富なものからしたら、可愛くて思わず笑みがこぼれるか、それとも呆れてものも言えなくなるような理由でサンソンを今日も避ける。サンソンはというと、立香を見つけて近づこうとしていたのだけれど、逃げる素振りを彼女が見せたことで、足を止めることしかできなかったのだった。
「それをオレに言っても何も得られないと思うぞ?」
「だって、メイヴちゃんとかアルテミスに言ったら絶対無理なこと言われるもん」
アサシンの式の部屋を訪ねた立香。あまりにも悲惨な表情に、仕方がないからと茶を用意したのは五分ほど前。最近アサシンの中でも仲がいいやつができたものだとぼんやりと思っていたけれど、それがまさか恋仲だったとは。少なくてもカルデアにおいては、恋や愛とは遠い
位置にいる自分がマスターに対して何かしらアドバイスができるものか。式はそう思う。例えば自分をそいつだと思って話してみればいいと言ったところで、たとえ自分が馬頭の被り物をしていたとしても、今のマスターだったらあちらこちらに転がって恥ずかしそうにしたり、逃げ出したりしそうだ。そんな雰囲気を持っていた。これは重症だな。ため息をついて怯えさせたりしないように、ぐっと飲み込む。
少なくても自分だったらどうするか、自分があいつで、こいつのことをマスターという以上に想っていたらどう思うか。そう考えることに努める。
「立香、オマエはどうしたいんだったか?」
「私は、ちゃんと話したい」
「だよな。少なくてもそう思っている。けど、それって今の状態だと全く伝わってないと思うし、アイツだって困惑してるだろ?」
「うん。それは分かってる。分かってる、けど」
恥ずかしくて、どうしても恥ずかしくて。話そうと思っても喉がカラカラになって声も出ないし、頬だってすぐ赤くなってしまう。
「それって、おかしいことでしょ?」
「別に……おかしいことじゃないんじゃないか?」
緊張する場面だったら誰にでもなることだろう。それが初めてなら尚更だ。ただ、それよりも。
「オマエ、今日は誰か警護につけてるか?」
「えっと、ついてないけど」
「じゃあ外にいるサンソンは別口ってわけだ」
「えっ、サンソンいるの?!」
「おっと、逃げるなよ?」
霊体化しようとした気配を感じ、式は外にいるだろう男に語りかける。それで動きを止め、それから逡巡するように外で足を動かす音を感じた。
「え、えっと、サンソン本当に外にいるの?」
「いるな。大方オマエがあちこち逃げ回るから心配で、せめて見られないようについてきたってとこだろ」
立香も立香なら、サンソンもサンソンだ、そう式は思う。やっていることを表面的に見てしまえば、ストーカーに近いものだろう。けれど、それは口に出さず。
ううっ、と唸っている自身のマスターに「そろそろ覚悟を決めて話してこい」と、部屋から追い出すのであった。
誕生日おめでとう
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます、マスター」
マスターの部屋にて。サンソンはマスターである藤丸立香からの言葉を受け取る。去年も、それより前も、毎年毎年何かしら考えてくれるマスターに微笑ましくも、自分のようなものがこのような大きくなってしまったイベントの主役になってしまってもいいのだろうという思いがあったので、これはこれで落ち着いていいものだなと思っていた。
「サンソン、今年は何も用意できなくて、ごめんね?」
「いえ、いいのですよ。僕は貴方からこうやって言葉をいただけただけで嬉しいのです」
わかりますか?と、サンソンは立香を抱きしめる。立香とは違う、サーヴァントとしての身体。それでもそこには疑似的に脈打つ、心臓と同じような音が聞こえた。とくとく、とくとく。いつもより幾分か早く打つそれを感じ、立香はサンソンの胸の中で顔をあげる。
「サン、ソン?」
「ええ、どうしましたか?」
「えっと、その……何でもない」
サンソンはどこか照れくさそうに。他の誰にも見せないだろう笑みを浮かべる。その笑顔にぎゅっと胸を締め付けられるような、それでもあたたかなものを感じながら、立香は顔をサンソンの胸にもう一度うずめる。
「リツカ」
「さ、シャルロ」 ぎゅっと先ほどより力をこめられた腕の中。立香は熱くなる頬を見られてしまわないようにとぐりぐりとサンソンの身体に顔を押し付けながらも小さく。小さな声で「誕生日おめでとう」と、呟くのであった。
ギャップ
「いつもありがとうね、シャルロ」
「いえ。僕の方こそ付き合っていただいてありがとうございます」
舞い散る花弁と、仄かに感じる甘さのある香りはどこから感じるものか。お菓子だけではなく、その場の雰囲気から感じる甘さだろうか。
シミュレーション作り出したシークレットガーデンでのお茶会に二人きり。ティースタンドに乗せられた軽食は、好きに食べていいと、適当に小皿に移していた。そうして目の前には、読書用の丸眼鏡をかけているサンソン。普段見ないその姿になれなくて、新たな魅力を蜜えてしまったかのように感じて、頬に熱が集まる。
ずるい。普段は見せない姿をそうやって、二人きりの時
にだけ晒すサンソンに、立香はそう思う。そうやって恋人である自分にだけそんな姿を見せることによって、改めて惚れさせようとするなんて。自分ばかりがサンソンのことをどんどん好きになってしまうし、胸を締め付けられるだなんて。
「リツカ、僕が何か気に障ることをしたでしょうか?」
「え?ううん、そんなこと、ないよ?」
思わずむっとしていたのか、サンソンから声をかけられる。伸ばされた手は立香の機嫌をうかがうように頬に伸ばされ、そっと触れられる。そうして困ったように微笑まれたことによって、立香は自然と言葉を口に出していた。
「サンソンが」
「ええ」
「そうやって眼鏡をかけているのって珍しいよね?何かあったの?」
「そうですね。あまりかけることはないですが」
一度言葉を区切る。そうして言いづらそうに、口をもごもごと動かしてから、聞こえるか聞こえないかという小さな声で、言葉を紡いだ。
「バーソロミューとティーチが、その、ですね」
「あの二人がどうしたの?」
「その、ですね『ギャップ萌えも必要じゃないかい?』と」
「なるほど」
後であの二人のカプリング本をジャンヌオルタちゃんたちに頼もう。そう決めつつ、立香は先を促す。きっと今の状況は二人の入れ知恵の結果であってグッジョブだと思いつつ、それはそれでこれはこれ。心臓に悪いこの状況を作り出した二人にはあとでそれを見てもらおう。
医務室でカルテを書いていたサンソンに、いつも同じ
格好でいるのも良いけれど、たまにはちょっと格好を変えたり、付属品をつけたり、何だったらメカクレになてみるのもいいんじゃないかな?というボロボロになったバーソロミュー。そしてその横で、その眼鏡だけもいいと思いまするぞ?と言ったティーチ。そうしてそれをなんとなくだけれど実行したサンソン。
「やはり、いつもの格好の方が良かったでしょうか?」
「え、いや……その恰好も、いいと思うよ?」
「そう、ですか?少し困惑していらっしゃったような気がしたので」
「えっと、それは」
あの二人の思惑通りにちょっとしたギャップにあてられたとは言えないけれど。立香は心の中で訴えつつも、思いを込めてサンソンに向き直る。
「それは、ね?」
「……?」
「ちょっとメカクレとかはわからないけど、確かに普段見ない格好を見られるのはいいなと思って」
「そう、ですか」 結局心の中で言っていたこととほとんど同じことをいてしまって恥ずかしさを立香は感じつつ、サンソンを見つめ続ける。対してサンソンは、薔薇の花弁のように赤く染まった立香の頬をみて小さく微笑んだのだった。
お酒
「マスターちゃんもとうとう成人ってわけだ」
「おめでとう!」
「誕生日おめでとう」
成人のお祝いと言えばお酒で一杯だろうと誰かが言いだし、一升瓶から注がれる日本酒。ボトルラベルにイチゴのかわいらしいイラストが描かれ、お酒自体も仄かにピンク色に色づいていた。それを差し出されるままに立香は受け取り、まずは香りを確かめる。遥か昔に感じる懐かしい祖父母の家の、夜に思い出されるのと同じような香りを感じた。薄暗闇の中で、熱々に温められた徳利から小さなおちょこへ入れられ、湯気をたたせるそれ。それを淡く思い出しながら一口飲む。甘いけれど辛い。初めてのお酒に対しての感想。
立香がお酒を受け取ってから、固唾を飲んで彼女を見守っていたサーヴァント達に対して、立香は小さく微笑む。その姿にホッとした雰囲気があたりを包むとともに、別のお酒もと、何本も用意されるのだった。
「リツカの誕生日なのに、今年は遅れてしまったな」
サンソンは医務室から食堂へ向かう。本日の主役というタスキをかけた、ハロウィンの王子様衣装の立香が食堂へ向かうのを見たのが数時間前。食堂から出るところでちょうど入れ違える形となったのだが、中で準備されていたのは、成人する立香に対しての数多のプレゼントと食事やお酒の数々。今までは成人していないからお酒は飲めないと断ってきた立香も、大人の仲間入りとして、それを進められているだろうと予想がついていた。
酔いつぶれたサーヴァントを診るのはそこまで苦労はないけれど、お酒を初めて飲むことになるだろう立香を診るのは苦労するかもしれない。最悪スキルを使ってしまってもいいのだけれど。そう考えながら食堂へと足を踏み入れると、目の前には顔を真っ赤にして、ふにふにゃとした笑顔を振りまいている立香。それを膝にのせているオジマンディアスと、その周囲にはなぜかフェルグスやダビデなどが潰れていた。
「貴様、遅かったではないか」
「一体、これは?」
「なに、余のマスターに手を出そうとしたのでな」
膝にのせているのは彼女を一番近くで守るためなのか。立香はそれを理解もせずに、入ってきたサンソンを見て「抱っこ」とオジマンディアスの膝から立ち上がって、そのまま胸に飛び込んだ。
「マスター、遅くなりました」
「えへへ。しゃるろ。ずっとまってたんだよ?」
「申し訳ありま……っ?!」
立香は飛び込んできたままに首に腕をまわして、サンソンへと口づける。いまだに食堂にはほろ酔い加減のサーヴァント達がおり、悲鳴を上げる者も、その光景をすぐに写真に撮ってどこかへあげる者も、とっさに目を背ける者もいた。
これは明日にはカルデアじゅうに広まってしまっている。果たして立香をどうフォローしようか。サンソンはいまだに口づけを受けながら考える。口を合わせるだけではなく、舌をサンソンの口へと差し込もうと知る立香に、さすがにこれ以上はダメだと離すと、とろけるような笑顔のまま、そのまま目を閉じて、体重を全てサンソンへとかけて立香は眠ってしまった。
「……、見苦しいことを」
「よい。マスターは貴様が来るまでは絶対に起きていると、眠りそうになりながら必死に耐えていたのだ。それでタガが外れたのだろう」
それよりも、写真を撮っていたものを追う方が良いのではないか?食堂から出ていく姿を見たぞ。マスターのことを最低限は守ったから、あとはサンソンが守るべきことだろうと、オジマンディアスは視線を逸らす。 サンソンは一礼をするようにしたあと、腕の中で眠ってしまっている立香の背と膝裏に腕をまわして抱き上げ、とりあえず彼女を彼女の部屋へと送ることにしたのだった。
花占い
好き、嫌い、好き、嫌い。一枚一枚ちぎられていく花びら。それは誰もが一度ぐらいは行ったことがあるだろう花占い。退屈しのぎにとなんとなしにする人もいるだろうけれど、立香はそれとは違って、あくまで真剣に行う。好き、嫌い、好き、嫌い。小さな声で一枚一枚。花がかわいそうかなと思いつつも、想い人のことを考えつつ、花びらに手を触れた。
「好き、嫌い……嫌い、かぁ……」
うなだれる立香。こんな占い気にしても仕方がないと思いつつ、最後の花びらを握りつぶすように手に力を籠
めると、後ろからサンソンの声が聞こえた。
「リツカ。お待たせしてしまってすいません」
「え、ううん、いいよ。私もさっき来たところだし」
立香は立ち上がる。その拍子に花びらがあたりに散らばった。
「リツカ、これは?」
「あ、えっと、なんでもないよ?」
「花占いですか?」
「うん。その幼稚だったかもしれないけれど」
「それで結果は?」
「えっと……」
嫌い、だった。そう言ってうなだれる。そうするとサンソンは「それはそうでしょう」と答えた
「リツカ。では今度はこの花で『嫌い』から始めてみてください」
「え?分かった。嫌い、好き……」
何度も何度も繰り返す。そうして最後は『好き』で手が止まる。
「えっと?」
「その花は花びらの枚数が決まっているのです。ですからそんなことをしなくても結果が分かっているのですよ」
「なんだ、そうだったんだ」
「ええ、それに」 そんな花占いをしなくても、僕の気持ちぐらい、わかっているでしょう?サンソンは立香に対して小さく微笑んだのだった。
バディ・リング
「さ、サンソン。これを受け取ってください」
手渡される四角い小さな箱。がやがやとしていた食堂は、立香の一言にしんと静まり返る。渡された箱は、サンソンも生前に、とある女性に渡したことのあるような小さな箱で、すぐに正体に思い至った。
「マスター、これは?」
「これは、この間手に入れたバディ・リングと言うやつで。日頃の感謝と……絆を表すリングらしいです」
サンソンに着ける場所は任せるから、ぜひもらってください。頭を深々と下げる立香と、辺りで固まるサーヴァント達。ひとまずサンソンは場所を変えようと立香をその場から連れ去るのであった。
「それで、どうしてあんな場所で?」
「あの場所だったら断らないかなって、思いまして。……ごめんなさい」
謝る立香を落ち着かせるためにも、彼女を部屋のベッドの端に座らせた。そうして、勝手知ったる部屋となっ
てしまっているそこのポットからお湯を注ぎ、鎮静効果のあるハーブティーの袋を開ける。さわやかでほんのり甘い香りが鼻孔をくすぐって、自身も落ち着くような気分となったサンソン。思った以上に食堂で渡されたことに驚いていたのだと思いつつ、立香にそのままお茶を届けた。
「どうぞ、リツカ」
「ありがとう」
ふーふー、とお茶に息を吹きかける立香。熱すぎるそれをそのまま飲んでしまえばやけどをしてしまうかもしれない。サンソンも自分のものを準備しつつ、隣に座る。立香のことをはっきりと見て、そうして口を開いた。
「リツカ、僕はあんなことをしなくても逃げませんよ?」
「……」
「僕は、確かにあの時は貴方を避けたかもしれない。一人で行動したのでしょう。ですが、僕は最後まであなたと共にいる。そう誓いました」
「でも」
「信じられない、ですよね。セイレムのあの地での行い。僕はその僕ではないので、何を考えて行動したのかは予想でしかできませんが、少なくとも今はリツカと最後の時まで共にいる。そう思っております」
「うん。わかってる。わかってるけど」
「なので、むしろです。僕は貴方からあのリングを受けとる資格があるのか。そう考えてしまっているのです」
一度息を吐ききる。大きく空気を吸って、再度口を動かす。
「だって僕は、今はこうしているけれど、一度あなたを
……裏切ったも同然でしょう。そんな僕があなたとの絆を表すものを受け取っていいのか、と、そう思うのです。サーヴァントとしても、恋人としても、最後の時まであなたとともにいたい。そう思っています。ただ、それが僕に許されるのか、そう考えてしまって、躊躇はするかもしれません」
サンソンは困ったような、どこかあきらめた様な表情をする。自分にそれをもらう価値なんかないとでもいうように、立香の差し出した四角い小さい箱を手に持って返すように差し出す。立香はサンソンを見上げた。
「サンソン、あのね。私はそうやって私のことを考えて、そうやって決断しようとしてくれているサンソンだからこの指輪を渡そうと思ったの。分かる?」
恋人としては左手の薬指に着けてほしいなんて思ったりもしたけれど。サーヴァントとして、仲間としては、右手の薬指に着けてほしいなって思ったりして。
右手の薬指の意味は確か、『心を穏やかに、自分らしく』という意味合いを持つもの。立香はサンソンにそうあっ
てほしい、そのうえで絆を求めている。その事実にサンソンは嬉しくなる。そうとは知らずに立香はそのまま続けた。
「それにね、そうやって考えてる時点で、絆を大切にしようとか、私のことを……って何を言いたいかわからなくなってきちゃったけど、とにかく。サンソンがそうやって迷ってるってことが、既にこのリングを受け取る資格があるってことだから」
返そうとしないで。立香は一度箱を受け取ると、再度サンソンに手渡そうとする。ただし、一度食堂で箱を受け取ったサンソンは、今度は受け取ろうとしなかった。その代わりに、両手を出す。
「リツカ、わかりました。それを僕は受け取りたいと思います。ですが、つける指は立香が選んでくれませんか?」 仲間として選ぶのか。それとも恋人として選ぶのか。立香はサンソンの言葉を受け、ごくりと息を飲み込んで。そうして四角い箱から取り出した指輪をそっと、サンソンの指にはめたのだった。
気になる人
「最近かわいくなったんじゃない?」
「え、そ、そんなこと、ないよ?」
特にスキンケアに力を入れたわけでも、ヘアケア用品を変えたわけでもない。マニキュアなどは戦闘ではがれてしまうから、ここにきてからしたことはないし。そう立香が答えると、そういうことではないと、相手は頬を膨らませた。
「そういうことじゃないし。何だろう。こう、内面から光り輝いてる感じ?」
「内面から輝いてる?」
「そう!例えば、誰か好きな人ができたとか?」
「好きな人って……」
「いるの?」
狐耳をゆらゆらと揺らしながら、きらきらとした瞳を輝かせる鈴鹿御前を前に、立香は困った顔をする。好きな人。より正確に言ってしまうと、気になる人はいるのだ。ただ、それが自分には恋なのかどうかは分からずにいたのだった。
「正直に言うとね、……内緒だからね?」
「もちろん」
「その、気になる人は、いる、かな?」
「誰?」
「医務室でいつも親切にしてくれるお医者さん」
「それってロマンのこと?」
「ち、違うって!」
ドクター・ロマニ。ロマニ・アーキマン。立香にとってその人は、確かにいざとなったら頼れるお医者さんで会って、なんでも相談できると言えば、そんな人物。だけれどそうではなく。
「そうじゃなくてね」
頬に熱が集まっている立香の顔を鈴鹿は見る。なんだ、恋しちゃってるって顔してるじゃん。マスターってば、そんな顔もできるんだ。自分を無意識に殺してしまっている顔ばかり見てきた鈴鹿は立香の変化に笑顔になる。それと同時に、ロマニではないお医者さんと言うのに興味を持った。
「あの、そうじゃなくて」
「じゃなくて?」
「~~、っ、えっと、黒いコートを着たお医者さん、だよ!」 黒いコートを着たお医者さん。それって。一人の人物が浮かぶ。それだったら確かにお医者さんだし、マスターがこうなってしまうのも仕方がない。優しさの隠しきれていない、いい男じゃんと思った。
おあいこ
「マスター、危ない!」
「えっ?!」
お昼ご飯を食べて食堂から出たところでかかった声。突然の声に驚いて、振り返ると同時に立香は身体を動かす。けれどそれを避けることは叶わずに、全身に被ることとなった。
「マスターごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ううん、大丈夫だよ?それより、転んだり、ケガはない?」
立香はナーサリーたちに声をかける。大きなシャボンを作ろうとして、バケツに貯めていた洗剤を薄めた溶液を転がしてしまい、ちょうどそこに通りかかった立香にかけてしまったのだった。ナーサリーやバニヤンに怪我がないことを確認する立香。良かったと安堵の息を吐いた瞬間、寒さから、くしゅんと小さくくしゃみをこぼした。
「大変だわ。早く着替えないと」
「待って、ナーサリーちゃん。大丈夫だから」
自分たちのせいでマスターが風邪をひいてしまう、と慌て始める目の前の子たちに、自分は大丈夫だと説明しようとする立香。ただ、そうやって口を開く前に、後ろ
から何かを掛けられる。温かいそれは立香を包んだ。立香はそれに虚を突かれて、時間にしては一秒も満たない時間。けれど数分にも感じるような時間固まった後、ゆっくりと、自分を包んだそれを見つめた。
黒を基調にした外套。大きすぎるそれは立香をすっぽりと包み、地面に裾が付いていた。
「マスター。失礼かとは思いましたが、震えているように見えたので」
「シャ……サンソン。ありがとう」
後ろからコートをかけてくれたであろう人物へ声をかけるとともに振り向く。予想していた通りの彼であったが、その顔には困惑と言うのが適切な表情が浮かんでいた。
「いえ。お礼をいわれるようなことは。それよりこの状況、どうされたのですか?」
慌てる子供サーヴァントと、それを前にぐっしょりと濡れたマスター。最初から状況を見ていないと困惑するのも当然だと思いつつ、サンソンのコートを着ていても寒くなってきた自身に、一旦シャワーを浴びるべきかと考え、そうしてなんとかその場を収めたのだった。
「そんなことがあったのですね」
「うん、シャルロが来てくれて助かったよ」
部屋に帰ってシャワーを浴びて。昼食後は予定がなか
ったことを確認しつつルームウェアに着替える。そうしてシャワー室から出て、部屋でお茶を淹れて待ってくれていたサンソンに状況を説明した。
「風邪をひかなくてよかった」
「心配させちゃってごめんね。でももうシャワーも浴びてあったかくなったし大丈夫だから」
なんだったら、温まったか確認する?立香はちょっとしたいたずらを思いついたようにサンソンに問う。サンソンはそんな立香の様子を見つつ、彼女が何を思いついたのか理解して、口元に笑みを浮かべる。
「確認するかと聞いて、抱きしめるのは無しですよ?」
「……むぅ、どうしてわかったの?」
「いつもそうして来るからでしょう?甘えるのでしたらもっと素直に来てもいいのですよ?」
「……」
素直に甘えるのは恥ずかしいじゃない。立香は小さく口にする。恥ずかしい。ただ、恥ずかしいだけなのだ。それにサンソンだって、自分から私に甘えるようなことはしないじゃない。そう立香は思う。
「僕は、リツカに甘えてもらうのは嬉しいですし、僕だって」
「……僕だって?」
なんだかこの調子で行くと、まるでサンソンが自分に
甘えたいと思っているのではないか。そう錯覚するような言葉を続けられ、立香は目を丸くする。
「僕だって。立香に甘えてもいいのでしたら、甘えますけど、どうでしょうか?これでおあいこではないでしょうか」 普段だったら絶対に口にはしない言葉。それを聞いてしまい、心が締め付けられる。ああ、どうしたってこんなにかわいいのだろう。いつもは格好良くて、優しくて。そんなところが大好きなのに、二人っきりになると甘えたいだなんて口にする。そんな年上の恋人に立香は胸をきゅんとさせるのだった。
