瞳越しの恋心
恋は人を単純で馬鹿な生き物に変えてしまうという。そんなことあるのかなと、昔の自分だったら疑問に思っただろう。けれど、恋をしてみればわかってしまうこと。確かに単純に、簡単に。わかりやすく顔色を変えてしまうし、ポーカーフェイスなんてものはできないと思ってしまったりする。藤丸立香は恋をして初めて、自分が本当に単純で、どうしようもない人間なんだと理解した。
「好きな人に振り向いてほしい、ですか?」
「そうなんだけどね。うまくきっかけがつかめないというか、あの人真面目だから」
確かに頭の先からつま先まで真面目で、鋼の理性EXって感じですよね。そうキャストリアことアルトリア・キャスターはサンソンを評価する。妖精眼で見えてしまっているのだろうと、立香の相談役となってもう何か月。本来であったら自分と縁ができるのは何年も先なのだろうけれど、なぜか繋がれてしまった、カルデアに呼び出されてしまった自分。終末装置である彼が呼ばれていなかったことに安堵のため息をつきたくなるも、キャストリアが未来に出会った立香とは全く異なる、どこか幼いだけの、自分を殺すことをする必要もない少女。その恋心にそっと、今だけはという思いを込めつつ、その心が育っていくのを楽しみに毎日を過ごしていた。
「それで、サンソンとはどうなんですか?」
浮かない顔をした立香にそう聞いたのは数分前。ここ最近は毎日サンソンの姿を遠くから見つめるだけで、心を幸せで一杯にしていた立香を見て、自分も満足していたのだけれど、立香はどうやらそうではなかったよう。どこか暗い顔をした立香に、心に不満を抱えたままでは毒だと、話してほしいとキャストリアは声をかけたのだった。
「どこかに真面目な人とうまくいく、恋愛本とかないかな?」
「図書館で探してみようか?」
「あったとしてもダヴィンチちゃんの本しかない気がするし、それを実践したらろくでもないことが起きそうなんだよね」
もしそんな本があったら自分も読んでみたいと思いつつ、そんな本はおそらく無いか、はたまた稀代の天才が出した本だろう。そんなことを思っていた自分と同じことを考えていたとは。キャストリアは苦笑する。
「例えば、媚薬十本を飲まないと出られない部屋、とかですか?」
「そう。媚薬の生成の仕方から載ってる感じの」
「それは、彼女だったらできそうだよね」
「でしょ?」
だんだんと明るくなっていく立香に、少しでも話せてよかったと思うけれど、根本的なところが解決していないなとも思う。実のところ、サンソンと立香は両想いであり、少しだけ、ほんの少しだけボタンを掛け違えているだけなのである。それは妖精眼越しに二人を見てしまっていたキャストリアには分かっていたことであるが、それに対して口をはさむのは野暮というもの。ボタンの掛け違いを二人で直していくのだって、きっと後には良い思い出になるだろう。そう思って口には出していないのである。今だって、そう。
「マスター、よろしいでしょうか?」
「あ、サンソン?いいよ?」
立香はごめんねと言って会話を切る。自分と話していたのにサンソンが来たら嬉しそうに頬を染めて。今度のクエストの編成について話に来たサンソンだって、立香と同じように心の中では嬉しさを噛みしめている。全く人間もサーヴァントも変わらず単純なものなんだから。立香自身が自分のことを単純でどうしようもない人間だと思っていることも、サンソンのことを大好きなことも知っていたが、キャストリアはそれらを口にすることはなく、そっと二人を邪魔しないように部屋から出るのだった。
抱擁
「シャルロ、好き、だよ?」
「僕も、同じ気持ちです」
貴女のことを好いていますよ。そういうと、目の前の彼女がはにかんだような笑みを浮かべる。ああ、幸せというのはこういうものなのか。サンソンは生前にも感じたことのある、ぽかぽかと陽だまりの中にいるような心地になる。温かくてそれでいて、泣きそうになる。そんな幸せ。
幸せはすぐに崩れてしまうこと、自分の手こそが、自分の宝具にもなっているものこそが、人々の幸せを奪ってきた、奪うことしかできなかったことを思い出す。愛するものを引き裂いた。たくさんの人間を刑に処してきた。そんな、そんな僕が幸せを感じていいのか。僕が存在することで立香が幸せを感じていいのか。そう思ってしまうこともある。それでも。立香はそれを全て分かっているように、サンソンに抱き着いて、はなれないようにしがみついてこう言うのだ。
「シャルロは幸せ?私はね、シャルロと一緒にいること、シャルロとこうやって過ごせることが幸せなんだ」
だから離れようなんて考えないで。私の幸せを奪わないで。懇願するように、しがみついて。まるで小さな子供のように。その姿を二人きりの時に晒す立香の頭を撫でて、それから背に腕をまわす。僕だって離れたくない。サンソンはそう思う。そして、それを無意識で表すように、抱きしめて、抱きしめて。
バキバキと、折れてはいないものの骨が悲鳴を上げる音を聞いて、我に返る。そうして慌ててサンソンが抱きしめた腕を放そうとすると、息を乱した立香が口を開く。
「シャルロに抱きしめられて嬉しかったよ」
「違う。苦しかったでしょう」
人間の力ではなく、サーヴァントの力で。全力ではないものの、それに近い遠慮のない抱擁。息をするのも大変だったことは分かった。現に立香の息は乱れ、身体は空気を必死に吸うように喘いでいる。
「ちょっとね。でも、そうやって、必死になってるシャルロも好き」
「……、リツカ」
「だからね、もう一回抱きしめて?」 首を傾けて、切なそうに。抱きしめてと言いながら近づいてくる立香を。今度はそっと、包み込むように抱きしめたのだった。
酔っ払い(現パロ)
「リツカぁ……」
「えっ、ちょっ、サンソン?」
どうしてここに、という言葉を飲み込み、何とか倒れてくる彼を支える。どうしても一人だけ足りないから来てほしいと誘われて、お酒は飲まないという条件で付いてきた合コン。学生の身分であるけれど婚約者がいる人間。そんなものを誘う人間もどうかと思うけれど、誘われてホイホイついていく私もどうなんだろうと反省する。件の婚約者であるサンソンには、友達と食事に行ってくるからと連絡していたはずだ。それなのに。そろそろ二次会かお開きにしようといったところで、後ろからそっと抱きしめられる。何事かと思って振り返ろうとしたところで、慣れた、それでいて、いつもよりふんわり
とした声で名前を呼ばれたのだった。
「りつか、どうして合コンなんかに」
「えっと、それは」
どう答えたらいいのだろう。嘘をついていたこともそうだし、向かった場所が場所だ。私と一緒に参加していた他の人も、なんだなんだとざわつき始めている。
「えっと、ね?」
「今は坊ちゃんに何を話しかけても無駄だと思いますよ?」
「ロビン?」
「こんばんは、お嬢さん」
突然現れた片目隠れ目のイケメンのお兄さんに、女性陣のテンションが上がる。一方サンソンは、益々拗ねたように私に体重をかけてきた。
「ちょっと?サンソン、重い!重いって!」
「僕の気持ちを無視して、そうやってどこかへ行こうとする立香にはお仕置きです。ちょうどいいでしょう?」
「お仕置きって」
「ダメですか?」
僕と言う婚約者がいるのに出会いを求めるなんて浮気です。小さくそう言うと、みんなの目の前というのに、顔を近づけて。
「……?!」
ぢゅっ、と口づけられる。軽いものではない。急に深い口づけを受け、さらに全体重をかけて押し倒そうとしてくる。本当にダメで、ここは路上だし、そもそも何を考えてサンソンはこんなことをしてくるのか。混乱する頭。サンソンのいつもよりお酒臭い深い口づけを受け、理性が溶け始めていく。これはダメだ、何とかしないと。そう思い始めたとき、サンソンが後ろへ引っ張られた。そうして私は解放された。
「ごほっ、けほっ……、ぁ、ありがとう、ロビン」
「いえ。それにしても本当に酔っていますね。今日は俺が坊ちゃんを連れていきますね?」
「うん、お願い」
私たちも連れていってとロビン、それから酔っぱらってしまっているサンソンについて来ようとする合コンに参加していた女性たち。私の婚約者なのに、とどす黒い感情に飲まれそうになっていると、ロビンがため息をついて、適当に追い払う。それからサンソンを担いで私の方へと笑顔を向けてきた。
「お嬢さんも、この坊ちゃんも大層モテますよね」
「えっ、そんなこと」
「ありますって。今日だって、たまたまお嬢さんが坊ちゃんに連絡をよこしたからってのみに来ることになって、そうしたらこれですよ」
どうやらサンソンはサンソンでロビンと飲み会を開いていたらしい。そこに合コンと称した集団がやってきて、私がそこにいたことを知ってやけ酒をしていたとのこと。そうして二次会に向かわされそうになっていた私に、酔っぱらった勢いのまま抱き着いてあんなことをしようとしたのだと説明した。
「坊ちゃんもさっき見た通りモテますし、あれは婚約者がいるとかいないとか関係なしに楽しむ、コッチ側の人間だ。坊ちゃんもお嬢さんも関わるべきじゃない」
今すぐ連絡できる媒体からブロックしたほうがいいですよ。存外に親切な婚約者のお友達は私の手から携帯を奪い取って、次々に連絡先を操作していく。そうして返してきた携帯に、男性の連絡先は、父親とアルバイト先、それからサンソンのものだけが残っていた。
「え、これって」
「坊ちゃんが望んでいたんですよ。『リツカを僕だけのものにしたい』ってね?」
聞いてます?と、肩を貸したサンソンを、気持ちが悪くならない程度に揺さぶる。けれど、サンソンが目を覚ますことはなく。すやすやと寝息を立てているのを確認して、ロビンは舌打ちをした。
「オタク、坊ちゃんに愛されているし、結構束縛もきついみたいですね?」
「そう、かな?」
「必要な連絡先以外全部男性の連絡先を消せって、どれだけ独占欲が強いんだか」
「……、少なくても、私にはそんなこと言ってこなかったからな」
嫉妬なんてすることはないと思っていた。独占欲だって感じることはほとんどない。けれど、それは隠しているだけ。そんなかわいい人。こう思ってしまう私も十分手遅れなのかもしれないなと思いつつ、ロビンに背負わ
れているサンソンの手をそっと握る。
目を覚ましたら何の話をしようか。まずは『隠し事はない?』と言う話が良いだろうか。たくさんの話したいことを考えながら、口元に笑みを浮かべる。ロビンはそんな私を横目で見て、ため息を大きくつくのだった。
おまじない
「僕は、きっとあなたのことが好きなんでしょう」
ですが、付き合うつもりはありませんよ。意識して冷めた目をして、サンソンはこちらを向く。令呪を持って命じれば、きっと本音を言ってくれるだろうけれど、それでは意味がない。彼が決めたことなんだから。立香はそう考え、無理やりにサンソンに笑顔を向け「そっか」と震える声を発したのだった。
「信じられない!何よそれ!」
「まあまあ、落ち着いてって。私が先走っちゃったのがいけないんだから」
サンソンに綺麗に振られてから数日。時間ができたときに行っている女子会での一幕。マスターの部屋で「最近あなたの愛おしい人とはどうなのよ」というメイヴの一言から始まった報告は、彼女を満足させるものではなかったようで、怒りをあらわに、サンソンへ向かおうとしていた。
そうして、そんな彼女を止めようとしている、彼女のマスターでもある藤丸立香。こんなどうしようもないことを報告してもしかたなかったよね、どうせだったらもうちょっといい話題を振っていればよかったと、後悔する。例えば彼女が力を入れている美容についてだとか、質の良い睡眠についてだとか、その他にもいろいろ。自分にとって異性とのやり取りは難しすぎるから、それはパスしておいて。そう初心な立香は思いながらも、今にもサンソンへと掴みかかりに行きそうなメイヴの腕をとろうとした。
ふわり。腕をとった瞬間に舞い上がった彼女の髪の毛から漂う、何かを誘うような甘すぎないけれど、あとを引く香り。ああ、きっと彼女みたいに気を使っていたらまた別の未来もあったのかもしれない。きっとこれも彼女が気合を入れているんだろうなと思って、話題を変えるためにもそれを立香は口にする。
「メイヴちゃん、この香りって?」
「ああ、これ?……そうね、せっかくだからマスターもつけてみたら?」
メイヴちゃん印のヘアケア用品。傷心のマスターには特別に譲ってあげる。ピンクの容器がかわいいそれを小さなカバンから取り出し、メイヴはマスターの背後に回る。そうして、髪の毛を触るわよと言ってから手を触れた。日頃から少しは手入れをしていると思っている。けれど立香のそうした努力も空しく、戦闘訓練などに明け暮れている間に髪は痛んでいた。メイヴはそれを確認して眉間にしわを寄せた後、すぐに表情を戻して三回。髪に液体をかける。軽く揉みこむようにしてから、立香のブラシを借りて、丁寧に整えていく。
「マスターの髪の毛って、本当に痛んでるわね」
「そ、そう、かな?」
「ええ。努力をしていないわけじゃないみたいだし、そこは褒めてあげるけど、これを使ったらもっとかわいくなれると思うわよ?」
「メイヴちゃん印だし?」
「そうね、私が監修してるんだもの」
カルデアの中でも結構人気なんだから、ありがたいと
思いなさい?いつの間にかドライヤーやコテも使って本格的に髪の毛を弄りだしたメイヴに、そのまま受け身になる。こうやって他の人に髪を弄られるなんていつぶりだろうと思いつつ、ただ撫でられるのであったのなら、サンソンに最近も撫でられていたことを思い出した。
「これでいいわね」
「ありがとう、メイヴちゃん」
「お礼は……そうね。もう一回告白した結果を教えてもらうってことでどうかしら?」
「え、もう一回って?」
「当然、サンソンにもう一回告白してきなさいってことよ。マスターだってそのままあきらめるのは嫌でしょ?それに、私からしたらもっといい男はいるけれど、マスターにとってはあの男が一番なんでしょ?」
あの男じゃないと満足できない。すべてを蹂躙したい。そんな風に考えているのでしょう?メイヴは立香に挑戦的に目を向ける。さすがにすべてを……だなんて考えてはいないけれど、一緒にいたい。好きだって言ってほしい。ぎゅってされたい。それが叶わないのは嫌。そう思っているところはあると、立香は少し考えてから頷く。
「それだったら、相手が断る暇もなく押しかけて、それで手籠めにしちゃえばいいじゃない、って言おうと思っても、マスターは初心だからそんなことはできないのよね」
それだったら、正々堂々と、許可がもらえるまで付き合ってくださいって言うしかないじゃない。まあ、元より私プロデュースで断らせるなんて選択肢はないのだけれど。
メイヴはドライヤーの冷風で立香の髪の粗熱を取り終えると、それらを仕舞って、そのまま立香の背を押す。廊下に出たマスターに「告白が成功するまで戻ってこないこと」と言い、そのまま部屋に鍵をかけてしまったのだった。
廊下に出て、少し開け冷えた頭で立香は考える。告白をもう一度とは難易度が高いんじゃないか。サンソンのことを考えていないんじゃないか、と。
けれども自分の心に嘘をついて、これまで通りサンソンに接することもできないのは事実。部屋から追い出され
てしまっては行くべきところもサンソンの部屋しかない。告白して振られてからそんなに立っていない身で、その人の部屋に向かうのもどうかと思いつつ、仕方なしにと、紙から漂う甘い香りを祈りとして向かうのだった。
効果
蜂蜜のような髪の毛に、いつの間にか恋しくなった声に、その鋭い瞳が蕩けた瞬間に。触れたい、呼んでもらいたい、彼女が視線を向けた先にいたい。いつからそう思うようになってしまったのだろうかと、自分でも頭を抱えたくなる。
平等に、天秤のように。彼女を見定めるために、彼女を見続けた。そうして答えを出す。彼女は曇りなく正しいと。直接伝えたときの驚きと、それから、ただ自分だけに微笑んでくれたその顔を見て、胸のどこかに温かな気持ちが溢れたのだった。ただ、それでも。
「僕はきっとあなたのことが好きなのでしょう。ですが、付き合うつもりはありませんよ」
意識して、冷たく。マスターとサーヴァントなのだと、自分で自分に納得させる。もし自分が普通の人間であったなら。もし聖杯に受肉する力があったのならば。もしかしたら答えは違っていたのかもしれない。けれど、現実は現実で、僕は座に刻まれた影法師なのだ。
「そっか」という震えた声を聞いて、少し後悔をする。けれどこれでいいと自分を納得させて、その日は別れたのだった。
「最近藤丸さんって香水つけたりしてるのかな?」
「お前何言ってんだ。……でも最近、できた怪我もなるべく綺麗に早く治してほしいって言ってくるようになったな」
「やっぱり少し変わったよな」
そんな話を立ち聞いたのはそれから数日後。何事もなかったかのように接してくるマスターに、感じた後悔の念を強くしていた時のことだ。以前マスターは、できた傷も放置して、ただただ体力の回復、生きるためだけに生きていた。けれど最近は、生きるためだけではなく、未来のため、生きたその後のことを考えて行動するようになっていた。
傷をなるべく残さないように治療をしてほしい。それもその一つ。医務室にやってきた彼女が言うようになったこの言葉。それに嬉しさを感じる反面、どこか悲しさも感じていた。
「サンソン、今日の夜だけど、私の部屋に警護に来てほしいな」
「僕でよいのでしょうか?」
「うん、お願い」
そんなことを秘かに感じ、それに罪悪感を持ち始めたころに。食堂でマスターから声をかけられた。その日のマスターは、訓練も何もなく、完全なオフの日の格好として、白いブラウスに、落ち着いた色のスカートを履いて、いつものシュシュで後ろに髪を括っていた。珍しい
と思いつつ、わかりましたと口にする。それじゃあ、夕方に。返してきたマスターが後ろを向き、立ち去ろうとする。その時にふわりと、甘すぎない、けれどどこか後を惹かれるような香りが残ったのだった。
それから、その時刻が来るまで。残った香りに気づいた何人かが、どこかそわそわとしたような気がするも、その中で昼食には遅すぎる食事をとって時間を潰す。医務室勤務は食堂に来るまでに終えていたのだった。
「失礼します、サンソンです」
「あ、サンソン。良かったら入っていいよ?」
ドア越しの会話。夕方の指定された時刻ぴったりにドアをノックした。そうして部屋に入ると、当然といったように食堂で見た格好のままのマスター。ただ、バレンタインに貰ったものだろう、化粧品のセットなどがベッドサイドのテーブルに置かれていた。
「マスター、もしかしてお取り込み中でしたか?」
「あ、ううん、そんなことないよ。ただこの間、私が先走っちゃったでしょう。それで、今までお洒落とかに気を使ったことがないのにそんなことをしても、玉砕するの当たり前じゃないって、怒られちゃって」
「そうだったのですね」
「うん。あの時は本当にごめんね。でも、そんなことがあってね、私なりに最近練習してみたんだけど、どうかな?」
雰囲気を変えてみて、お洒落にも気を使ってみて、未来を考えてみて。きっと普通の生活をしている人だったら、こうやって努力している子を好きになったりするんじゃないかなって思って。未来の誰かを想像していたのか、頬を染めたマスターは、無邪気にも口を開く。 自分じゃないものとの未来の話。先日マスターからの告白に返事をした自分では望んではいけない気持ちが溢れだしそうになっていた。望んではいけない。望んでしまっても、それらは手から零れ落ちていってしまう。そう言った経験を僕はよくしてきた。だから、マスターとサーヴァントと言った関係もあるから、望まないことにしたのだ。それでも、きらきらと輝く笑顔を向けてきたマスターは魅力的で。それを伝えようとする口が勝手に動き出したのだった。
好きなものは
「シャルロって何が好きなの?」
英霊の特性を知るための、マスターからの質問一覧を見て。ほんのり薄暗い立香の部屋で二人きり。まだ召喚をしたばかりのころに聞かれたそれをサンソンも眺める。英霊一騎一騎のコメントを資料として残しているカルデアに、何とも言えない気持ちになりつつも、改めて
自分の回答した言葉をサンソンは振り返った。
『平和、幸福、慈愛……これらを嫌いな方がいるのでしょうか?』サンソン自身が発した言葉の、一字一句間違いなく記録されている表。それを見て立香はきっと懐かしくなったのだろう。それと同時にどこか期待するような視線も送られていたことに気づく。何だろう。一瞬そう思ったけれど、サンソンはすぐに期待されている言葉に思い至る。
「平和、幸福、慈愛。それらは今でも好いていますね」
「うん」
「ですが僕個人として、その他にも好きなものでしたらありますよ?」
それは。口を一度閉じて、サンソンは立香を見つめる。そうして、それから……。 薄暗い部屋に輝くタブレットの光に映し出される影がそっと重なった。
何ともない一コマ
冬の海は冷たい。それは当たり前のことだけれど、そんな寒いだけの海辺を二人で歩く。
気分転換がしたいとダヴィンチちゃんに頼んで、二人だけで来た海。今の季節に合わせているからだろう、春もようやくやってきたぐらいの冬の海で、なんとなしに靴を脱ぐ。一緒にやってきたサンソンは、何をするのだろうといぶかしんだけれど、私が海に向かって駆けだすと、慌ててその手を取った。
「マスター、いくらシミュレーションだとしても、寒いですよ?」
「うん、それは分かってるけど」
「ならば、なぜ?」
「ええと、生きているって感じたかったから?」
「……?」
生きているって感じたかったから。それ以外に意味はない。あえて挙げるとしたら、ただ、なんとなくなのだ。ある意味、死を間近に感じて、生きたいという気持ちを感じるのと同じことかもしれない。けれど、それは口にはせず。
「サンソン」
「なんでしょう?」
「……えいっ!」
足を延ばして水に浸けて、その塩水を掬い上げるようにサンソンに向かってかける。慌ててそれを避けるサンソンに面白くなってしまって、離された手で水を掬って、今度は胴体を狙ってかけるのだった。
「ま、マスター?」
「えいっ!……えいっ!」
「や、やめっ、……こらっ!」
「わわっ、わかった。ごめんって」
サンソンがサーヴァントとしての力を使って、無理やりに止めに入らなければ、どこまで続けていたのだろう。手で水を掬ってかける行為が、再び手を掴まれることで止められる。結局は私の体力の方が早く尽きただろうから、サンソンにかかることはなかっただろうけど、捕まったことにムッとした。
「もうやめてください。先ほども言いましたが、たとえシミュレーションだとしても、風邪をひくかもしれません」
「そんなこと」
「幻肢痛という言葉もあるでしょう。それと同じようなことが起こるかもしれないのですよ?」
はい、と答えると、よろしいと手を離される。サンソンが用意してくれていたタオルで手足を拭くと、ブーツに足を通した。
「ありがとう」
「いえ、お気になさらず。それよりこれからどうしますか?」
「うーん、もう少し歩いてから考えたいな」
「わかりました。では、お手をどうぞ?」
当然というように手を伸ばされる。勿論その手を取るのだけれど、それでもそれを分かられていることが少し悔しいと思った。 そうして指を絡めて浜辺を歩いてゆく。たわいもない話をしながら、それこそ、今日の朝食は何を食べただとか、この後の予定はどうだとか。時間の許す限りを二人で歩き続けたのだった。
意地悪
「ねえ、サンソン」
「なんでしょう?」
「その、好きって言ったら怒るかな?」
「怒ることはないですが、どうしてでしょう?」
「それは……」
人を好きになるのは自由だとサンソンは思う。ただ、それに応えられない自分がいるだけで。サンソンは立香と付き合うことはないと言いつつ、自分の立香を好いているという気持ちを隠すことはなかった。
立香もサンソンがサーヴァントであり、退去してしまう存在として受け入れ、付き合うという道を選ぶことはなかった。
ただ、二人ともお互いを好いているということをお互いに隠したりはせず、ほんの少しだけ、戯れにお互いのことを好いていることを確認するだけにとどめていたのだった。
「だって、サンソンは私と付き合う気はないんでしょう?」
「ええ、それは先日言った通り」
「それだったら、好きでいられるのは迷惑かなって」
「そんなことはありませんよ。ただ、僕はサーヴァントであり、未来を貴女と歩むことはできない。だから、貴女の気持ちは受け入れられない。……けれど、貴女が僕に対して好意を持ってくれること。それは僕としては嬉しいことなのですよ」
「なぁにそれ?ずるい。どうせだったら諦めさせてほしい」
ベッドに寝転がっている立香は頬を膨らませて、端に座って読書をしているサンソンを見上げる。ずるいと言われても、サンソンとしては、もし自分がサーヴァントと言う存在でなければ。また実際にするかは置いといて、聖杯に願って受肉できるのであれば、今すぐその言葉を撤回したいと思えるほどに、立香のことを好いている自覚があった。
「諦めさせてほしい、ですか。それは僕に貴女を振ってほしい。そういうことでしょうか?」
僕の気持ちを知っているのに?立場を理解していてそういうのでしょうか?サンソンは立香を真っすぐ見つめる。いつか冷たいと思っていた瞳には熱が灯っており、それだけでもサンソンの気持ちは痛いほど立香に伝わる。サンソンは立香のことを好いている。そして、立香だって。
「うぅ、そういうわけじゃないけど。私だって、サンソンのこと好きだし」
「おや、僕は立香のことを好きだとは言っていません
よ?」
「……」 やっぱり、今日は特に意地悪だ。立香は口には出さずに、むくれながらもプイとそっぽを向く。その立香の頭に触れる体温はサンソンのもので、やっぱりサンソンは意地悪なのだと、そう思う立香なのであった。
嵐の夜(現パロ)
トクトク、トクトク。小さな音が胸元から感じられる、そんな幸せ。外はまるで嵐のように、ひどい雨音と風の音。それから時折何か小さなものが風で飛ばされてぶつかっているような音が、暗闇の中響いていた。そんな中、ヘッドボードに身体を支えられた状態で、サンソンは震える立香の小さな体を抱きしめる。小さい、と言っても成人間近の女性だから、サンソンと比べたらということになるのだが、サンソンからしたらそう感じるものであ
った。
「立香、大丈夫ですよ」
「……」
「やはり、暗闇は怖いですか?」
「……」
こくこくと頷く立香の頭をサンソンは撫でる。前世と呼ばれるものがあるなら、サンソンと立香の関係はマスターとサーヴァントであり恋人。今世においてはただの幼馴染の男女。サンソンには幼稚園に通うほど幼いころから前世と思われる記憶があり、周りにはそれを黙ったまま彼女を守っていたのだった。そうして立香はと言うと、前世のことも恋人であったサンソンのことも忘れ。全て忘れてしまえばよかったのに、お腹をかき回された痛みや、体中に切り傷を作りながら生還したこと。暗闇で何者かに追われ続けたこと。そう言った一般人からしたら恐怖でしかないことだけを、魂に刻み付けていたのだった。
「立香。僕がいますから、ね?」
「……ほんとに?」
「ええ、ずっと」
付き合ってもいない、ただの幼馴染にこんなことを言われてしまったら。普通であれば嫌悪感を抱くかもしれないシチュエーションだけれど、立香にはそんな余裕もなく。ただサンソンに縋り付く。サンソンもそんな立香の身体に腕を回して、しっかりと。今度こそ守りきると誓うように。
いろいろと距離が近すぎると注意を受けたこともあるその距離感で。ただただ嵐が過ぎ去るのを待つのであった。
おまけ それは幸せとは言えないかもしれないけれど
「サンソン……シャルロ」
「どうしましたか、リツカ」
「あのね」
触れたら壊れてしまいそう、消えてしまいそうな命の瞬きに、サンソンはそっと手を伸ばす。こうなることは分かっていたのかもしれない。無理を承知で立香は戦ってきた。だから、最期だって、こうなることだって。
「わたし、しあわせだった」
「……」
「わたしね、みんなとあえて、しゃるろと、こうしてすごせて」
だから、なかないで?立香はもう見えないだろう蜂蜜色の目を蕩かせて、サンソンを見上げる。思わずだきしてめてしまったサンソンの服には赤が広がる。もう。いや、まだ。
「ぼくも、僕だって……リツカと過ごせて幸せ、でした」
「そっか、よかっ……た」 けほけほと、赤を散らしながら微笑む彼女。そんな彼と彼女に近づける者は誰もいなかったのだった。
アイス
「うぅ、寒いよ」
「だから言ったでしょう、こんな時にアイスを食べても寒いって」
がたがたと震えるように縮こまる立香に、サンソンはため息をつく。今の季節は、と言ってもカルデアは年がら年中であるが雪景色。そして今は空調が壊れ切ってはいないとはいえ、あまりよろしくない状況となっていた。そんな中のおやつ時。常であったら、おやつはクッキーなどの焼き菓子を頼んでいたのだが、今日に限ってアイスがどうしても食べたいと立香が言ったのだった。
「暖房の調節を一応してみましょうか?」
「ううん、大丈夫」
天井裏に潜んでいた身長二メートルの男のせいで空調がおかしくなっていたのは分かっていたのだが、本人を天井から引きはがしても問題は解決せず。必要より少し低めの温度から上がらなくなってしまった空調を、どうにかして戻せないかとサンソンはリモコンを持ちながら考えていると、その手を立香にちょいちょいと引っ張られた。
「シャルロ、そのね。寒いなって……」
「ですから、今温度をあげようと」
「ううん、そうじゃなくて」
寒いんだ、と立香が甘えるようにサンソンにすり寄る。そこでサンソンはそういうことかと理解して、腕を彼女の背に回した。
全く、甘えることが下手になっていますね。サンソンはそう思う。素直に抱きしめてほしいと言えばいいのに、身体を冷やして、それで温めてほしいという口実にするだなんて。立香のかわいらしさから思わず笑いそうになり、それを耐える。笑ってしまったらますます彼女は甘えなくなってしまうだろう。
まだ寒いですか、とサンソンは問う。すると立香は少し考えた後に、アイス食べたら口の中まで寒くなっちゃった、と照れたように言う。口の中まで、と言ったところで一旦口を閉じ、それから視線を雅代わせるようにした立香を見なくても、どうして欲しいかなんてすぐにわかった。
「本当に、寒いんですね?」
「う、うん」 今さら嘘だって言ってもやめてあげませんからね。サンソンは少し意地悪にも聞こえるかもしれない声色で立香に告げる。期待をしている立香にとってそれは嬉しいことだったのか、それとも。それは二人だけが知ることである。
