「えっと、それでね?」
「……先輩?」
カルデア廊下の曲がり角。その先からマシュの先輩こと藤丸立香の声が聞こえ、マシュはそちらへ向かおうとするも、ふと足を止める。曲がり角の先から聞こえる立香の声は上機嫌であり、いつも自分に話しかけてくれるより、どこか優しく甘い声色に聞こえた。
先輩はどんな方と話しているのでしょう。マシュはそっとうかがうように廊下の角から目がギリギリ見えるだけ顔を出す。廊下の先には見慣れた緋色の髪の毛と、横に並ぶ白い髪。黒のロングコートと肩にある飾りが特徴的なシャルル=アンリ・サンソン。二人が向かい合って笑顔を浮かべながら話す姿にどこかちくりとしたものを感じつつ、そっと、二人がその場から離れるまでその場を伺うのだった。
「サンソンさん、今お時間よろしいでしょうか?」
「?ええ、大丈夫ですが、どこか怪我でもされたのでしょうか?」
「いえ、恐らくそういうわけでは。ただ、少し聞きたいことがありまして」
マシュからサンソンに話しかけてくることはあまりないことであった。あるとすれば、誰かが負傷をしてそ
の傷の手当てをしてほしいなど、医療に関してのこと。サンソンはそんな日常から判断して声をかけたものの、それは違うと言われ、何のことかと首をかしげる。
食堂にいる現在。あまり見ない組み合わせだと遠目から職員やサーヴァントがこちらを見ているのが確認できたと思いながら、サンソンはマシュに目の前の空いている席を勧めた。そのまま座るマシュは、見た目にはあまり出ていないようであったが、少しだけ不機嫌にも、何かを考えているようにも見える。いったい彼女に何かしてしまっただろうか。全く身に覚えがない。
「あの、変なことかもしれないですが」
マシュは続ける。その言葉で我に返ったサンソンは、ただマシュの話に頷いた。
「最近サンソンさんと一緒にいる先輩を見かけたんです。その先輩が、とてもあたたかくてきらきらとしたような表情をしていて。他の方と一緒にいるときも楽しそうにされていますけど、どこか違うようで。いけないことだとは思うのですが、少しだけ、ほんの少しだけ、胸が痛む気がするんです」
これは病気なんでしょうか。って医療関係のことでしたね、すいません。マシュは申し訳なさそうに小さく謝る。それはいいとサンソンは声をかけつつ、どう伝えたものかと悩んだ。
マスターがきらきらと輝いて見えることと、マシュの胸の痛み。それを理解できないほどサンソンが鈍感であるわけではない。けれど、それを直接伝えてしまうほど無粋な心も持っていない。ただ、マシュは。
マシュはこのカルデアで生まれ育ったものであり、純粋無垢ともとれるものであった。それを加味してしまえば、しっかりと直接伝えることしかできない。悩んだ時間は数秒。マシュには自分の気持ちと向き合って、立香とも向き合ってほしい。そう結論付けたサンソンは、口を開いた。
「マスターが僕と一緒にいるとき、ですか?それは……」
一度言葉を区切る。どう説明するか。まだ心は決まっていないものの、自分が理解できる範囲でのことを説明したほうがいいはずだと腹をくくる。きっと彼女のことだ。これを知ったところで変にこじれたりはしないはずだと、そう思った。
「マシュは『恋』というものを知っていますか?」
「はい。確か、『異性に愛情を寄せること、その心。恋愛』と言う意味がありましたね」
「ええ、辞書的な意味ではそうですね。ただ、最近は異性とは限らないようですが。……本題に戻しましょう。マスターが僕と一緒にいるとき、と言っていましたね」
「はい。先輩が一緒にいるときは、本当に穏やかな空気
が流れているような気がしまして」
それが何だかうらやましくて。切なそうな瞳でマシュはサンソンより遠くを見つめるように、苦しそうに口にする。その視線だけでもわかる。ああ、マシュはマスターに。嫉妬だけではない。純粋な好意だけではない。その気持ちは。
マスターが自分に向けているものと根本的には同じ感情をマシュは無意識に持っているのでしょう。サンソンはこれからマシュを傷つけるだろうことを口にしなければならないことを心苦しく思いながらも、言葉を選ぶ。
「それは、先ほど言ったものだと思いますよ」
「先ほど、と言うと、『恋』でしょうか?」
「ええ、そうです」
「……。私、恋というものが、愛というものが分からなくて、ドクターに聞いたことがあります。ドクターはその時にすごく慌てて、それから『それはゆっくり学んでいけばいいんだよ』って。サンソンさんも、そう、思いますか?」
「……ええ。僕は生前、沢山の愛を知りました。それに愛も恋も見てきました。それらは、たった一つだけの意味なんてない。そういうものだと僕は思います」
一人一人にとって意味の違うもの。そうして、それは生きていく中で自分で見つけて、理解していくもの。だから、ゆっくり、ゆっくり、自分だけの恋も愛も理解して欲しかった。おそらくドクターはそうだったのではないでしょうか。
これが正解なのかはわからない。けれどドクターだったら。サンソンがロマニと関わった時間は、人理修復が終わるまでという短い時間だったが、彼の人柄を理解していた。彼の偉業を理解していた。人間だった彼を、短い関わりの中で少なからずともそう理解していた。
「そう、ですか」
「ええ」
「……その、サンソンさん。私のこの胸の痛み。もし病気じゃないとしたら、いつか私にもこれの意味が理解できるのでしょうか?」
「それは、ええ。理解はきっとできると思いますよ」
「そう、ですか」 ぎゅっとマシュは胸の前でこぶしを握り締める。それから何回か深呼吸をする。痛い、苦しい。そんな感情をごまかすように笑みを浮かべながら「ありがとうございます」とマシュは言い、席を立ったのであった。
