41、抱きしめてとは言わない
痛くて、苦しくて。ぐるぐる、ぐるぐる。どうしたら怪我をしなかっただろう。庇ったけれど、あの子は無事だろうか。そんな思いばかりがぐるぐると何度も何度も頭に浮かぶ。こんな状態じゃダメだと思うけれど、それでも悪い方向にばかり考えてしまうのは、私という人間だからなのだろうか。
ふと「生きるためだ」と魔神王に向かっていったときのことを思い出した。あのときはまだ良かっただとか、今の境遇を考える。人理修復が終わって、それからようやく元の生活に戻れると思っていたところに来たアナスタシアとカドック、それからコヤンスカヤが率いたものたちの襲撃。空想樹の根付き。五本の空想樹を切除してきた。六本目は異聞帯の王が使用することによって枯れていたけれど、その異聞帯の王すら。
「やあ、マスター。こんなところで会えるだなんて奇遇だね?」
「オベロン」
深く考えて、目を瞑って。そんなところに聞こえた声に目を開ける。気がついたら奈落の虫に食べられていましただなんて、そんなことが現実に起こる。いや、夢であることは分かっているけれど、それでもあまりに生々しい風が頬を触る感覚に身震いした。
「ここは、オベロンの夢?それとも私の夢?」
「サーヴァントは夢を見ない。それに似たものは見るかもしれないけれど、基本はそうだろ」
「ってことは私の夢なんだね」
「現実って線は考えないわけ?消えたはずの異聞帯にまだ存在する奈落の虫の腹の中。そこにきみは意識だけを引っ張られたのさ」
「うーん、その線もオベロンが言ったらあるのかもしれないけど、残念ながら夢だって分かるんだよね」
「どうしてだい?」
「だって、現実の方が酷いことになっているからね」
「……」
思い出せるだけでも腕が骨折して、腹の肉を食い破られている。たとえオベロンが本当に意識を引っ張ってきたとしても、現実であったら、その現実にこの状況が食い破られると思ったのだった。今触れられる身体は綺麗である。腕だって、足だって。
もしかしたら酒呑にいじくり回されたところだけは夢の中だからこそ傷になっているのかな。そんなことを一瞬考えて服をめくろうとすると、一緒に落下しているオベロンが濁った声を吐き出した。
「あのさ、俺がいるの忘れてない?」
「覚えてるよ?」
「覚えててそれかよ。……昨日だってきみを組み敷いて無様な声を上げさせてやったと思うんだけど」
「それも覚えてるし、なんだったら、気持ちよさそうにオベロンが声を漏らしてるのも聞いたよ?」
「あはは、余計なことは言わないでくれるかな? それとも何? きみは自殺志願者かなんかなわけ?」
「照れなくても良いからね」
さっと服をめくって見たお腹もやっぱり綺麗だ。アスクレピオス達が綺麗にした以上に傷一つ見当たらないお腹に感動する。
「やっぱり人類史は滅びるべきだと、俺は思うな」
「どうしたの、藪から棒に」
「全部説明しなきゃ分からないのか?」
「いや、分かるけど」
綺麗だと思った。いつもだったら傷ぐらいあるのに。オベロンはきっとこの言葉だって、私が消費されているような状況であることだって許せていない。
人類最後のマスターの役を羽織っている藤丸立香を許せない。ただ一人の女の子であった私を大切にしてくれている。それは第六異聞帯の旅でもそうであった。
自分のことを輝く星だなんて思わないし、オベロンだってきっとそうなって欲しいとは思っていないだろう。それでも私はただ一人のマスターとして生きていかなければならない。
それでも、もし……もし、こんな夢の中だけで良いから許されるなら。
「人類史は滅ぼしちゃダメ。もしそうしようとしたらまたアルトリアに協力してもらうから」
「それは嫌だね」
「マーリン魔術を教えたものとして?」
「ほんっとうに余計なこと言うよな」
「そうかな? でも、今はこうやってきみと話していたいな」
きみと話していたい。本当はもっと欲張りだったりするけれど、それでも今はそれ以上は求めない。そう思うだけに留めてオベロンに笑顔を向けるのだった。