4、握る
チクリと痛みが走る。突然のそれに驚きつつ痛みを感じた手元を見る。それは令呪が刻まれた右手。そしてその右手は彼の左手に握られていた。
「オベロン?」
「なんだよ」
「その、右手」
「ああ、傷でもつけた?」
分かってこうしていることを察する。怒っている。言葉からも、こちらを振り向かずにどんどんと先へ向かっていることからもそう判断できる。
先へ、先へ。
降り積もる色づいた葉を踏みしめ、森の中へ。
ここはどこだろう。一見してオベロンが領主をしていた秋の森のように見える。けれどそこに住んでいた虫たちは、妖精達は、ただの一匹もいない。ただただ葉が落ち、そうして積もっていくだけの森の中を、私たちは奥深くまで歩いて行く。
「きみは……きみは、何も聞かないんだな」
「それは、うん。だって、君が私に酷いことをしないのは分かっているし」
「なんだそれ。あの場所では散々……いや、それ以降の話かな? 俺の行動、言動は全て歪んだ結果だって分かってて、優しくされてるって勘違いしてるわけ?」
「それは」
オベロンの言動は全て歪んでいる。それはいつ聞いたことかは忘れてしまったけれど、それでも、真実なのではないかと思ってしまうことがあった。それは普段の言動だったり、絆を深めていった果てに受け取った礼装であったり、その他にも沢山のことから。
自分も含めて大切なことは大切にしてくれる。優しくしてくれる。彼を見ているとそう思ってしまうのだ。
「それは、分かってる。でも、それはそうだけど、そうじゃなくて……私はそれより何で今怒っているのかの方が気になるかな」
「そこまで俺のことを考えていて、それで理解できていないなんて、本当にきみは自分のことに対しては鈍いんだね」
「鈍い?」
「それ以外にきみを表せる言葉が見つからないけど?」
自分が鈍いと言われて少しだけむっとしてしまう。それでもオベロンはオベロンで私に何かを伝えようとしてくれているのだと分かった。
オベロンはまだまだ奥まで歩いて行った。それはもはや歩くと言うより早歩き、競歩、と言っても差し支えないぐらいには早い。それに追いつくように小走りで付いていきながらも考える。
人にとって大切なものは大切にしてくれる。それでいて鈍い、とは? 考えて、考えて。そうして一つの可能性にたどり着いた。
自分を大切にしない生き物に対して彼は怒っているのかもしれない。最初に強く握られた手には令呪が刻まれている。それは私がマスターである証であって、藤丸立香の今を構成するものとなっている。ただ、今の藤丸立香は藤丸立香のことよりも世界のこと、自分が守るべきものの方が大事だと認知しているかもしれないとは自分のことながらに考えていた。それをきっと彼は怒っているのだろう。
誰だって、生き物は自分を一番に大切にする。それができてから周りのことを大切にしないと何一つ守れないのかもしれない。けれど私はどうだろう。それができているか。多分、きっとだけれど、できていなかったのだろう。自分の一番を大事にできていないものに対して憤りを表されるのは当たり前だ。それが分かって苦笑する。本当に、もう。
「ねえ、オベロン」
「何? 俺は怒っているつもりなんだけど?」
「ありがとう」
「そうかよ」
ちぐはぐな会話。それでも通じ合ってしまう言葉。
きっと私はこれからも自分を大切にはできないかもしれない。それでも、こうやって私のために怒ってくれる、藤丸立香を大切にしてくれるひとがいるのなら。
「私、自分の世界を守りたいんだ」
「……」
ごめんね。でも、ありがとう。そんな気持ちを込めて、改めて右手で彼の傷つけるだけだった左手を握ったのだった。