64、それは気のせいだ
「暑い夏にはやっぱり水着だよね~!」
「それ、ただ見てる側だとしたらすごいセクハラ発言になりますよ、立香」
「良いじゃん、私だって水着着てるんだから」
とんでもないセクハラ発言を発するマスターと猪の氏族の少女。どっちもどっちだなと思いつつため息をつく。
全くどうしてこうなった。パラソルの下、鞄の掛けられたビーチチェアに座って、サングラスをかけつつ空を見上げる。
暑い。けど、海に入るような酔狂さも自分は持ち合わせてはいなかった。どうせ海に入ったところで泳げるかと言われれば、虫を水につけたらどうなるかなんてわかりきったことだろう。
少し離れたところで遊び始めたマスター達を見て、いつも通りの日常が恋しいような感覚に目を細める。きっとこの時間だったらマスターの部屋のベッドに寝転がっていただろう自分。そんな自分に恨めしげな感情を向けそうになるも、ばしゃりと水をかけられたことで我に返った。
「あっ、ごめん」
「ゴメンで済むか、馬鹿」
立香がアルトリアに向かって打った水鉄砲の水が、その軌道上にいた自分にかかったのだった。適当な店で買った服はびしょびしょ。いっそ泳ぐことができさえすれば、そのまま水に入ってしまった方が清々しい気分になれるんじゃないかと思うほどには、べとつき濡れていた。
「あっちゃー、これは大分濡れてますね」
「本当にごめん、オベロン」
わざとではないのだろう。本当に申し訳なさそうに眉をハの字に曲げて謝ってくるマスター。別にそこまで真剣に謝ることじゃない気がするのだけれど、全く律儀なことだと、口角を上げる。
「……別に、この場所も何もかも、気持ち悪いことには変わらないからね。今更気にすることじゃないだろう?」
「オベロンにとってはそうかもしれないけど、でも」
「本人がそう言ってるんだけど? それとも、きみはそれでもそうやって謝り続けるのかい?」
「う……、じゃあ、許してくれてありがとう、とか?」
「さて、どうだろうね。俺は許すとは言ってないけど、そこはどう取ろうがきみ次第だろ」
「……、全く、素直じゃないですね、オベロンは」
「アルトリアは島流しにでもされたいのかな?」
ギャアギャアと場は盛り上がる。これはこれで五月蠅いけれど、これでいい。一瞬見せた立香の申し訳なさそうな表情に、ぎゅっと胸を捕まれるような何かがあった気がしたけれど、それはなかったことに。それに、虫は泳げないと言ったけれど、泳げないだけだ。
俺は立香とアルトリアが話し始めたのを横目に見ながら、ビーチチェアに掛けられた鞄の中からとっておきのウォーターガンを手に取ったのだった。